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“沖縄出身プロ野球選手のパイオニア”が母から言われた「おまえは一回、死んだ身じゃ」…カープOB安仁屋宗八が「8月6日」に思うこと
text by
渋谷真Makoto Shibutani
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2022/08/06 06:00
カープや阪神で活躍した安仁屋宗八さん。沖縄出身初のプロ野球選手として知られるレジェンドの半生とは
「取材も受けたから、よく覚えています。昭和47年。(シーズンオフに)沖縄に帰った時、交通事故が増えたと聞きました。右から左(側通行)に変わったから。大型トラックやバスの事故が多かったって」
「沖縄から出てくる選手は、みんな応援しとるんよ」
待望の本土復帰に伴う変革と混乱。それから50年がたった。大臣も出たし、甲子園で1勝どころか春夏連覇も成し遂げた。プロ野球に目を転じても、西武の山川穂高がホームラン王争いを独走し、高校の後輩でもあるソフトバンクの東浜巨はノーヒットノーランを達成した。
「沖縄から出てくる選手は、みんな応援しとるんよ。チームはそれぞれでもね」
沖縄出身プロ野球のパイオニアにしてレジェンドは、孫の活躍を喜ぶ祖父のような優しい目をしている。しかし、そんな安仁屋さんに悲しい目をさせる戦乱が、ウクライナで続いている。
「早く終われ。やめてくれ。戦争をして得することなんか一つもない。言いたいのはそれだけよ。勝った、負けたはスポーツだけでいい。争いごとが嫌いな人生だったから。平和が一番なんよ……」
広島に住んで半世紀以上がたつが、実は平和記念資料館にだけは足を運んだことがない。平和を希求するがゆえに、どうしても直視できないのだ。終戦から77年。沖縄が本土に復帰して50年。国には歴史を後世に伝える義務があるが、こうした人がいるのも戦争が招いた現実だ。それも一つの戦禍であることを、世界の指導者は知ってもらいたい。
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