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「てめえ、ぶつけやがってこの野郎」やんちゃだった“補欠”の球児が甲子園37勝の名将になるまで「甲子園に出た監督で一番球歴のない男です」 

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加藤弘士

加藤弘士Hiroshi Kato

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photograph byYuki Suenaga

posted2022/08/05 17:00

「てめえ、ぶつけやがってこの野郎」やんちゃだった“補欠”の球児が甲子園37勝の名将になるまで「甲子園に出た監督で一番球歴のない男です」<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

日大三高野球部、小倉全由監督。1997年に同校監督に就任。春7回、夏10回出場。2001年と11年の夏の甲子園では優勝。甲子園通算37勝

「監督の怒り方があんまり上手くなくてね。選手のやる気がなくなっちゃっていた。最後の夏なのに、みんな『甲子園なんて別にいいかな』と冷めちゃったところがあった。監督も30代半ばで、若かったんだと思います。自分たちも監督の立場や気持ちを理解せずに、『やってらんねえ』と溝ができたまま、夏の大会に入ってしまった。次の5回戦で城西に逆転サヨナラ負けして、高校野球を終えるんですが、本当の悔しさが出ないんですよ。負けて数日経ってから、『俺たちも、もっと熱くやれば良かったんじゃないかな』と反省したりしたね」

◆◆◆

 現在、小倉と孫の代ともいえる三高ナインの絆は濃く、熱い。根底には完全燃焼できなかった、18歳の夏の悔いがある。

「お互いが一生懸命なのに、思うようにいかなかった。人間の難しいところです。叱って、選手がやる気になる叱り方じゃないとダメだなって。それを自分は教えてもらった。だから3年間、絶対に熱く高校野球をやらなきゃいけない。ベンチには入れなかった選手にも『三高でやれてよかった』と思ってもらえるようにしたいんです」

 野球部の同期から、小倉は今でも「俺達の13番」と呼ばれる。レギュラー外から道を切り拓いた男への敬意がにじむ。

「甲子園に出た監督で、自分は一番球歴のない男です。でもここまでこれたのは、ずっと一生懸命だったから。時代は変わっても、一生懸命の大切さだけは伝えていきたいと思います。あとは死球に激高するのは、絶対ダメだよって(笑)」

<日大三島編へ続く>

小倉全由(おぐらまさよし)

1957年4月10日、千葉県生まれ。日大在学時には母校・日大三のコーチを務める。卒業後の81年に関東第一の監督に就任し、春2回、夏2回の出場を果たす。97年に日大三の監督に就任。春7回、夏10回出場し、うち2001年と11年の夏の甲子園では優勝。甲子園通算37勝

#2に続く
大阪桐蔭の西谷監督は「苦労して、努力した生徒」“異端の名将”日大三島・永田監督はこうして生まれた「今も高校時代の悪夢にうなされる」

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