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オリンピックPRESSBACK NUMBER
高3で1500m日本新、”スーパー女子高生”小林祐梨子33歳は2児の母になっていた「ネギさして自転車漕いでるほうが”私らしい”」
text by
荘司結有Yu Shoji
photograph byYu Shoji
posted2022/07/21 17:01
「スーパー高校生」として取り上げられてから約15年。小林が自宅でインタビューに応じた
「私の場合は、月経と競技力が比例していたんです。日本記録を出したときも生理中でしたし。でも、最後の4年間はぴったりと生理が止まっていて……。ケガも増えましたし、健康的な状態でないことへの苛立ちから、歯車が噛み合わない状態でした。辞めずにあと何年か走ることもできたと思うけれど、自分は中途半端に陸上を続けることは求めていませんでした」
年が明けた2015年1月に現役引退と退社を発表し、程なくして止まっていた生理は再開した。
将来の夢だった「同級生との結婚」
引退後、トップアスリートから一転した「普通」の生活にすぐ溶け込めたのは、同級生の夫の存在が大きかった。中学2年のジュニアオリンピックで出会い、14年間にわたって交際。引退してすぐに同棲を始め、お互いの誕生月の12月に結婚した。
「決勝のスタート前に『小林さん頑張れ!』って声をかけられて、完全に私の一目惚れでしたね。大会の帰りに母に『めっちゃかっこいい人に話しかけられた!』って興奮しながら伝えたら、旦那の親とうちの親もスタンドで知り合っていたそうなんです。あの5万人入るスタジアムで親も私たちも知り合っていたことに勝手にときめいて……。走って10kmくらいの距離にお互い住んでいることが分かって、近所のおじちゃんが仲を繋いでくれました(笑)」
中学3年で交際を始め、小林さんは須磨学園、夫となる男性は西脇工業高へと進学。高校3年で共に主将を務め、都大路を走り、小林さんは2区で20人抜きの区間新記録を達成する。引退までの4年間でケガやスランプに苦しむ傍ら、パートナーの存在がストレスの緩衝材となっていた。
「高校に進学したときは『どっちが日本一になれるか勝負しよう』と言われて、恋人というよりかライバルみたいな存在でした。私が北京五輪に出た当時、彼は大学でケガに悩んでいたんです。でも、私はすごく伸びていた時期だったから『なんで走らんの?』ってキツく言っていて……。旦那は怒らずに『いずれ同じような時期が来たらこの気持ちが分かるよ』とだけ言って、結局私が苦しんでいた時期に、すごく親身になって支えてくれました。なんであんなこと言ったんだろう…ってすごく恥ずかしかったし、いずれは自分が彼を支えてあげたいと思ったんです」