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オリンピックPRESSBACK NUMBER
高3で1500m日本新、”スーパー女子高生”小林祐梨子33歳は2児の母になっていた「ネギさして自転車漕いでるほうが”私らしい”」
text by
荘司結有Yu Shoji
photograph byYu Shoji
posted2022/07/21 17:01
「スーパー高校生」として取り上げられてから約15年。小林が自宅でインタビューに応じた
「そのレースで入賞した8人のうち、7人がケニア人かエチオピア人のアフリカ勢でした。一緒に走ったからこそ、私がその領域に入るのは『無理や……』と思ってしまい、陸上人生で初めて『できない』と感じる瞬間が現れたんです。足を治すとか着実な目標を積んでいけばよかったのに、ずっとプライドで生きてきたから、小さな目標を立てる自分が認められませんでした」
夢だった北京五輪、ベルリン世界選手権のその先――。目標が描けなくなった瞬間、陸上人生の針は止まってしまった。2012年のロンドン五輪代表の座を逃し、2013年頃からは坐骨神経痛に悩まされるように。2015年の引退までの“魔の4年間”は、10代の輝かしい実績と、レースすら走れない現実の合間で苦しんだ。
「日本記録を出して『スーパー女子高生』ともてはやされた自分を知っているからこそ、ずっとその味を噛み締めていたかったんでしょうね。もうその味から程遠いものしか作れないのに、あのときの栄光を追い求めていました。引退までの4年間は、足がうまく噛み合わなくてレースを途中棄権することもありました。普通に最下位を走ればよかったのに、プライドが許さなかった。引退までの4年間は途方に暮れていたというか……、自分がどこに行きたいのか分からないまま、霧の中を走っているような感覚でした」
私の場合は月経と競技力が比例していた
引退までの4年間は生理も止まり、無月経とは無縁だった身体も蝕まれつつあった。2014年12月、全日本実業団女子駅伝のゴール後に引退を決意。まだ26歳での引退に、惜しむ声も多かった。