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アントニオ猪木79歳が「イラクの戦友」と再会…湾岸戦争直前、あの“人質解放”の知られざるウラ側「猪木さん、残ってください」
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2022/07/20 17:00
1990年、湾岸戦争直前のイラクに乗り込んだアントニオ猪木。共に人質解放に尽力した戦友・野崎和夫さんとの再会に笑顔を見せた
ヨハネスブルグのダウンタウンがスラム化して久しい。そういえば、猪木からもソ連時代のKGBの射撃練習場で実弾を撃った話を聞いたことがあった。
バグダッドで猪木に「あなたがいくら強いといっても、これには勝てないだろう」とベルトに差したピストルを抜いた国会議員の話をすると、野崎さんは誰のことを言っているのかわかったようで「ああ、逆に差していた人でしょう」と笑った。その国会議員は、左側に差した銃を右手で抜いたのだ。
病床の猪木が野崎さんに贈った「特別なサイン」
猪木の現在の体調は必ずしも良好とは言えない。でも、野崎さんのような人がやってくると、時間を忘れて思い出話は弾んでしまう。
「痛風は大丈夫ですか」
野崎さんは猪木にそう尋ねた。あの「平和の祭典」の時、猪木の足が靴も履けないくらいに腫れていたのを間近で見ていたからだ。ストレスもあったのだろうが、猪木はイラクでリングに上がることを断念したのだった。
「痛風は大丈夫なんですが、今は心臓や内臓がね」
猪木の体には点滴の針が刺さっている。多臓器に深刻なダメージを与える全身性アミロイドーシスという病は難敵だ。だが、猪木はそれと毎日戦っている。リハビリも欠かさず行っている。
再会の記念に、猪木は野崎さんにサイン色紙をプレゼントした。筆で書いたものだった。見慣れたマジック書きの、力強い「闘魂 アントニオ猪木」ではない。
「手が思うように動かなくて、マジックだとうまく書けないんですよ」
野崎さんは猪木の特別なサインを大事そうに受け取った。スキルス性の胃ガンから奇跡的にカムバックしたという野崎さんは元気だった。手帳を広げるとゴルフのスケジュールがずっと先まで書いてある。「今日も行ってきたのですが、週に3回の出勤です」と笑った。
猪木も野崎さんも、30年の時を超えて、戦友のように話していた。
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