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《衝撃KOデビュー》“次世代モンスター”今永虎雅(22)とは何者か? 井上尚弥を上回るアマ戦績も「全く別の世界。騒がれるのは苦手」
text by
栗田シメイShimei Kurita
photograph byShimei Kurita
posted2022/07/04 11:03
プロデビュー戦を前にインタビューに応じた今永虎雅(たいが・22歳)。鮮烈TKO勝利を飾ったことで、注目度はさらに高まった
今永の名はすぐに関西圏で知られるようになる。競技人口が少ないとはいえ、連戦連勝で敵なしの状態だった。本人の言葉を借りるなら、“最も調子にノッていた時期”だろう。
だが、中学最後の大会で予期せぬ敗北を喫する。前日まで修学旅行に参加するほど悠長に構えていたが、後に同じく高校8冠を達成する荒本一成に2R・RSCで完敗。今永の中でボクシング感が変わった瞬間でもあった。この敗戦が後のアマ10冠に繋がった、と回顧する。
「荒本に完敗して、その後全国の強豪を集めた合宿にも参加したんですが、みんな自分よりレベルが上だった。井の中の蛙じゃないですが、上には上がいた。それなのに自分は調子こいて恥ずかしいな、と。何よりも練習量やボクシングに対する向き合い方が違った。もし、あの敗戦がなければプロのリングに上がれるような選手にはなれなかったと思いますね」
荒木と同じ王寺工業高校に進学
高校は越境して、荒本と共に奈良の王寺工業高校へと進学する。顧問は、ロサンゼルス五輪バンタム級代表だった高見公明だ。高見はWBA元世界スーパーフライ級チャンピオン名城信男や、村田諒太らを指導した高校ボクシング界の重鎮でもある。そんな高見の指導を今永は「人間教育の部分が大きかった」と振り返る。
「ボクシングの技術もそうですが、とにかく人としてどう振る舞うか、ということを高見先生には教えて頂いた。目上の人を敬える謙虚な人間であれ、ということは高校生活で自然と身についていきました。自分の中で“奢り”のような感覚がなくなっていったことで、ボクシングの結果もついてくるようになったんです」
「中学時代から180度性格が変わった」という現在の今永の土台は、高見のもとで作られたともいえる。親元を離れての寮生活という環境で、とにかくボクシングにのめり込んだ。部活のハードなトレーニングのあとも、毎日ボクシングジムに通う日々だった。
結果はすぐに表れた。1年時に高校総体、国体、選抜の3冠を獲得という快挙を達成。最終的にはよきライバルでもあった荒本と共に高校8冠を達成している。これは大橋ジムの先輩である、“モンスター”井上尚弥ですら達成していない(7冠)パーフェクトレコードだ。
「目標」だった東京五輪は出場を逃す
高校卒業後、即プロも頭を過ったというが名門・東洋大学へと進んだ。大学でも国体と台北カップのタイトルを獲得。それでも、「アマを続けた一つの目標だった」という東京五輪は、19年の選考会決勝で敗れ(対・成松大介)、悔し涙を流している。
挫折を経験したことで、すぐに「プロの世界で登りつめよう」と気持ちを切り替えた。大学卒業が迫った今春、ギリギリまで悩んだ末に大橋ジムでプロへと進むことを決めた。