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板倉滉が“内田篤人に続いてシャルケで愛された”理由「スライディングしなくていいところでも…」「自分から握手しに」〈インタビュー〉 

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ミムラユウスケ

ミムラユウスケYusuke Mimura

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photograph bySatoshi Shigeno

posted2022/06/15 17:02

板倉滉が“内田篤人に続いてシャルケで愛された”理由「スライディングしなくていいところでも…」「自分から握手しに」〈インタビュー〉<Number Web> photograph by Satoshi Shigeno

シャルケで進境著しい1年を送った板倉滉。6月シリーズの前にインタビューに応じてくれた

「Jリーグはすごいですよ、環境は。移動もホテルも」

――海外での4シーズン目でそのような経験をすると予想していました?

「していなかったです。オランダは国が大きくないので移動は最長でも3時間くらいでした。シャルケに移籍して2日後にはアウェーゲームがあって、そのときは電車移動でしたけど、普通のお客さんも乗っている車両だったので、そこにまずビックリして」

――1部のチームなら1等車を貸し切りに近い状態で使いますもんね。

「しかも、行き先がレーゲンスブルク(*南東部の街でドイツ最古のソーセージ屋さんがある)でした。そもそも、当時はドイツのどこに位置しているのかも知らず、2~3時間で着くものだと思っていたら、いっこうに着く気配がなかった(笑)」

――6~7時間ほどかかりますからね。

「まぁ、こういう経験をするのもこのタイミングで良かったのかもしれないですね。30歳を超えてからではしんどかったかもしれないし」

ファンの方が僕のユニを着ていたので、後ろから…

 そんな1年を過ごした板倉について、触れずにはいられないのは、シャルケの情熱的なファンやサポーターに高く評価されていたことだ。

 衝撃的だったのはリーグ最終節、選手たちが試合後にアウェーゴール裏のサポーター席に挨拶へいったときのこと。コアなサポーターが陣取るエリアのなかに両腕を全力で伸ばし、板倉のユニフォームを誇らしげにかかげて見せる現地サポーターの姿があった。

――板倉選手のユニフォームを着ているファンも少なくありませんでしたね。

「そうでしたね。僕の3番を着てくれている人も結構いました。最終戦翌日にも、スタジアム内でパーティーがあったんですけど……」

――スポンサーやファンクラブ会員の一部が入れる立食パーティーですよね。

「そうしたら、そこでも3番のユニを着ている人が結構いて。もうね、自分から握手しに行きました」

――えっ!? 

「食事をよそおうとしている人が僕のユニフォームを着ていたので、後ろから肩をトントンって」

――自分から?

「はい。『良いユニフォームを着ていますね。ありがとうございます!』って」

――さぞかし喜んでいたのでは? 

「ビックリしていました。『え? あれっ?』って。でも、やはり、嬉しいじゃないですか! 海外でわざわざ日本人の選手のユニフォーム着ようなんて、なかなか思わないでしょうし。しかも守備の選手ですからね、僕は」

スライディングしなくていいところで“あえてやる”ワケ

――サッカーの話に戻ると……板倉選手がセンターバックを務めるときの守備では、他のセンターバックが前に出て相手をつぶしにいき、板倉選手はディフェンスラインの裏へ送られたボールを回収するシーンがよくありました。印象深いのは、背後へのボールに相手より先に追いつき、スライディングで思い切りクリアしたときです。本拠地フェルティンス・アレナのファンが見せるスタンディングオベーションが起きていました。シーズン中に何度も見られたシーンですが?

「やはり、守備であれだけ沸いてくれるのは嬉しいですよ。ドイツって戦う姿勢をすごく重視しているので。1対1の競り合いや球際で勝った時に、観客が沸く。あれは良いですよね。あの盛り上がりによって僕個人も、チームとしても、さらに乗っていけるんですよ」

――確かに。

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