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加藤一二三43歳から“21歳で名人奪取”、ライバル羽生善治の“七冠”を阪神大震災直後に阻止… 谷川浩司「光速の天才伝説」〈十七世名人〉 

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田丸昇

田丸昇Noboru Tamaru

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posted2022/06/15 11:01

加藤一二三43歳から“21歳で名人奪取”、ライバル羽生善治の“七冠”を阪神大震災直後に阻止… 谷川浩司「光速の天才伝説」〈十七世名人〉<Number Web> photograph by BUNGEISHUNJU

羽生善治九段と対局する谷川浩司九段

 羽生はその後、公式戦でものすごい勢いで勝ちまくった。1989年に初タイトルの竜王を奪取。谷川とも竜王戦、王座戦、棋聖戦などで何回も激突した。両者はライバル関係になっていた。

阪神淡路大震災と、「前人未到の七冠」阻止

 谷川王将に羽生六冠が挑戦した1995年の王将戦七番勝負は、羽生が谷川を破ればタイトルを独占して前人未到の「七冠制覇」を達成することで、メディアや多くの人たちが注目していた。

 谷川は「最後の砦だけは渡すまい」という心境で臨み、王将戦第1局(1月12・13日)で先勝した。それから4日後の17日、阪神淡路大震災が起きて、未曽有の惨事を各地に及ぼした。

 神戸の高層マンションに住んでいた谷川に直接の被害はなかったが、地域一帯にガス爆発の危険が生じたので、近くの小学校に夫妻で避難した。夜の食事は1個だけのおにぎりだった。

 1月19日に夫人が運転する車で大阪に向かった。20日に関西将棋会館(大阪市福島区)でA級順位戦の対局があった。道路の不通や規制で11時間もかかったが、何とかたどり着いた。報道で伝えられた惨状を見て、将棋を指すことの後ろめたさを感じたという。しかし盤の前に座ると、将棋を指せるだけで幸せと思った。

 王将戦では羽生の七冠制覇よりも、被災した谷川を応援する声が高まってきた。谷川はそんな空気に後押しされて奮闘した。3勝3敗で迎えた青森県での最終局に勝ち、王将のタイトルを死守した。

 谷川が翌日に関西の空港に着いてタラップを降りると、花束を抱えた空港関係者に迎えられ、《王将防衛おめでとう》と書かれた横断幕が掲げられていた。被災者同士の連帯感があった。

 谷川王将は1996年の王将戦で羽生六冠に再挑戦され、4連敗を喫して失冠。羽生は前人未到の「七冠制覇」を達成した。谷川は大きな屈辱感を受けたが、七冠という逆風から解放された思いもあった。そして、復活の日はそれほど遠くなかった。

 谷川九段は1996年の竜王戦で、森内俊之八段、佐藤康光八段らに勝ち、羽生竜王に挑戦した。羽生と同世代の2人の若手精鋭を連破したことは、大きな自信になったという。同年10月からの竜王戦七番勝負では、羽生を4勝1敗で破った。谷川は通算3期目の竜王に復位した。

谷川が立ち直ったきっかけは「少年たちとの100面指し」

 谷川が立ち直ったきっかけのひとつは、1996年8月に山形県天童市で青空の下で、複数の棋士と指導対局(100面指し)したときの少年たちとの交流だった。無邪気な笑顔で楽しそうに指している姿を見て、将棋を楽しむ気持ちを逆に教わったという。

 谷川は竜王戦で羽生への挑戦に際して、「羽生さんと将棋を楽しみたい」と語った。

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