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「卓球より勉強を」「東北大へ進んでほしかったんです」「宿題ちゃんとやってる?」張本智和(19)の父が明かす“天才児の子育て術”
text by
城島充Mitsuru Jojima
photograph byShigeki Yamamoto
posted2022/06/27 11:00
2018年の張本智和。彼を日本随一の卓球プレーヤーにした育成法とは?
「省ごとの代表チームに入ってプロになれるのは、ほんの数人だけです。同世代のライバルとの競争はめちゃくちゃ厳しかった。わずかですが、省のチームに入ったときからプロ選手として給料ももらっていました」
智和が日本の環境に適応できるように育ててきただけ
同じ四川省出身の張凌はさらに過酷な選考を勝ち抜き、北京に招集されて中国代表の座にのぼりつめた。想像を絶するほど厳しい環境に身を置いた2人が、まったく違う環境で世界のトップレベルに達しようとする息子の土台を築いたことは、特筆すべきことかもしれない。
「私たちが育った環境では、子どもでも悔しさを露わにすることができませんでした。感情をぐっと抑えながら、ラケットを振っていました。智和はまったく違います。試合に負けたとき、人目もはばからずに号泣するのでなだめるのが大変でした。それが良いか悪いかではなく、私たちはただ、智和が日本の環境に適応できるように育ててきただけなんです」と、宇は言う。
'14年の春、父と息子、そして妹の美和が日本に帰化した。
「'20年の東京五輪で金メダルをとりたい」という息子の夢を叶えるのに最適な判断だと夫婦で考えたからだ。この時点で中国のメディアは過敏に反応し、張本の夢に言及した『中国新聞』は「天賦の才があったとしても、16歳で世界の頂点に立つのは難しい」と評している。
幸運だったのは、小学校卒業後に進んだ東京のJOCエリートアカデミーが、フィジカルや栄養管理も含めたさまざまなノウハウを蓄積していたこと、そして宇自身が日本代表男子のジュニア担当コーチとして息子の指導を続けられることになったことである。
「帰化した直後は複雑な感情もありましたが、今は日本人として日本代表になった息子をサポートすることにまったく迷いはありません。特別なことといえば、智和にはふだん中国語でアドバイスをしているのですが、中国選手とあたるときは日本語でアドバイスしていることぐらいです」
気持ちの強さは智和の卓球をさらに高めてくれるはず
仙台を離れて1年半。マンツーマンで向き合う機会が増えた息子の成長は、父親の予想を大きく上回った。