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「日本一偏差値が高い」東大野球部の文武両道エリートはどんな一流企業を選ぶ? 過去31年間の就職先ランキング…2位は電通・NHK、では1位は?
text by
沼澤典史Norifumi Numazawa
photograph bySankei Shimbun
posted2022/06/11 11:03
東大野球部時代の宮台康平投手と喜入友浩捕手(右、2016年撮影)。宮台は17年ドラフト7位で日本ハム入り。喜入は17年にTBSに入社しアナウンサーに
前出の宮台と同学年だった柴田叡宙(投手・18年卒)は、JR東日本に進んだ。先述のように15年春、東大は連敗を94で止めたが、その歓喜のマウンドに立っていたのが、リリーフとして登板した柴田だ。しかし、その後は投球フォームの変更などで調子を崩してしまう。悔しさをバネに社会人野球でプレーした。
22年卒部生は“野球継続”が4人も
柴田以降、3年間野球継続者はいなかったが、22年卒部生からは、4人もの野球継続者が出た。
奥野雄介(投手)は、三菱自動車倉敷オーシャンズに入団。21年春季リーグ戦で東大は64連敗をストップさせたが、その試合で先発し、法政大学を5回無失点に抑えたのが奥野だ。開成高校から東大に入学した学業エリートだが、卒業後は野球エリートの中に身を置き、自身の技を磨いている。
不動の4番だった井上慶秀(内野手)は、三菱自動車岡崎へと進んだ。井上は、東大野球部を目指し、2浪するも届かず、一時は一橋大学へ入学する。しかし、東大への思いを断ち切れず、3浪の形で合格した経歴を持つ。4年生の全10試合に出場して.281の高打率をマークしたバッティングを武器に、卒業後は社会人野球に挑戦した。
高橋佑太郎(内野手)は、先輩の井坂肇の勧めもあってトライアウトを受験し、高知ファイティングドッグスへ入団。東大史上2人目の独立リーガーとなった。私立武蔵高校1年時には、レギュラーとして西東京大会ベスト16、3年夏も同ベスト32に貢献した高橋だったが、東大時代は4年生まで出場機会に恵まれなかった。大学時代は通算9試合に出場し、1安打にとどまったが、野球への情熱は消えず、独立リーグでプレーを継続することを決めた。
異色なのは、22年卒の齋藤周(コーチ・アナリスト)。彼は部内でデータ分析を担い、21年春のリーグ戦において連敗を64で止めた立役者とも評される。アナリストとしての能力を評価された齋藤は、高給で鳴らす大人気企業キーエンスの内定を蹴り、現在は福岡ソフトバンクホークスでGM付データ分析担当を務めている。
過去31年間ランキング「入社数が多かった企業1位は?」
以上、東大野球部の過去31年の進路を振り返ると、475人中190人が就職、130人が在学(留年)、116人が大学院進学という結果だった。
31年間で入社数が多かった企業は、三菱商事が10人とトップ。それに続き、電通とNHKが8人、東京海上日動火災7人(旧東京海上火災も含む)、みずほ銀行7人(旧日本興業銀行なども含む)という結果だった。また、6人ずつ進んでいるのは、三井不動産、日本生命、日本政策投資銀行、三井物産、住友商事である。東大野球部は全体的に、商社、銀行、マスコミ、生損保、不動産への就職が多い傾向にあるといえるだろう。
野球継続者は31年間で15人。NPB選手は00年、05年、18年と3人出ており、まさに10年にひとりの逸材といったところか。しかも彼らの東大出身のプロ選手がいずれも、日本ハムに所属していることも、興味深い。この他にも西濃運輸から日本ハムの球団職員になった荻田圭もおり、「東大と日本ハム」という関係性も気になるところだ。
強豪ひしめく六大学野球において、不屈の精神で戦ってきた東大生たちは、あらゆる面で並みの人間ではない。今回の3記事では卒部時点の進路を主に紹介してきたが、卒業後や大学院進学後の神童たちの人生ドラマも、引き続き追っていきたいと思う。(文中敬称略)
<#1、#2から続く>