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低迷する名門・早稲田の競走部…それでも監督交代が“降格”ではない理由 新旧監督が目指す「2人で“令和版”の強くて魅力ある早大へ」
posted2022/06/08 17:00
text by
和田悟志Satoshi Wada
photograph by
Satoshi Wada
6月1日、早稲田大学駅伝チームの新体制がスタートした。
新たに駅伝監督に就任したのは、上武大とGMOインターネットグループで監督を務めた花田勝彦。前任の相楽豊は、チーム戦略アドバイザーとして引き続きチームの指導に当たることになった。
「相楽君とは、私がエスビー食品の現役で、彼がまだ早稲田の学生だった時から交流がありました。私が引退後に上武大学の監督を担っていた時に、“上武大学でコーチしないか”って彼に声をかけていたんです」(花田)
実は、花田が上武大の監督時代に参謀役として白羽の矢を立てたのが相楽だった。結局、その当時は実現しなかったが、18年の時を経て、ついに両氏が母校・早稲田の指導者としてタッグを組むことになった。
23年前「雲の上の存在」から師弟関係へ
相楽が早稲田に入学したのは1999年のこと。その当時の花田といえば、アトランタ大会、シドニー大会と、2大会続けてトラック種目でオリンピックに出場するなど日本のトップランナーとして活躍していた。母校の先輩とはいえ、相楽にとっては「近づいてはいけないように感じていた」存在だった。
そんな雲の上の存在との距離がぐっと縮まったのは、夏のある1日のことだ。
当時、早大は北海道内で夏合宿を行うのが恒例で、常呂町(現・北見市)では、花田ら早稲田OBが多く所属していた実業団の名門・エスビー食品との野球対決が毎年開催されていた。
「僕は元野球部だったので、わりと活躍していたんです。それで瀬古(利彦)さんにも名前を覚えてもらえましたし(笑)」(相楽)
野球の後にはバーベキューをし、エスビー食品のスター軍団と早稲田の学生とが親睦を深めた。また、花田は、使わなくなったウエアやシューズを母校の寮に送ったり、治療院でたまたま一緒になった後輩に食事をご馳走したりと、実業団に進んでからも早稲田の後輩たちを気にかけていた。
こうやって、相楽にとって雲の上にいた存在は、“面倒見のいい先輩”になっていった。大学4年時に駅伝主将を務めていた相楽は、競技やチームのことなどを、花田に相談していたという。さらに、2003年に早大を卒業した後は地元・福島で非常勤の高校教諭をしながら競技を続けており、その練習メニューを花田に頼んで作成してもらっていた。