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イニエスタがJリーグに来たのは「キャプテン翼」のおかげ?「古ぼけた小さなテレビの前に座るたび、日本を旅していた」幼少時の思い出とは
text by
アンドレス・イニエスタAndres Iniesta
photograph byTakuya Sugiyama
posted2022/06/05 17:01
来日5年目を迎えたイニエスタ。ヴィッセル神戸を選んだ理由にはキャプテン翼の存在があった?
次に、まだ12歳だった私にアルバセーテからバルセロナへの旅をさせてくれました。そして34歳になると、サッカーボールは私と私の家族を日本へ連れてきてくれました。日本という国はFCバルセロナ(※以下、バルサ)でプレーしていたときに何度が訪れたことはありましたが、私にとって遠い外国でした。バルセロナと同じく海と山がある街・神戸で、私たちは落ち着いて暮らしています。
それまで全く知らなかった街なのに、いまイニエスタ・オルティス家はずっと前からここに住んでいたように感じています。私たちは緊張と好奇心を抱きながら、神戸に到着しました。いま、両目を大きく開いて目の前に広がる世界を観ています。自分たちの第二の故郷となったこの国の、この街のどんな些細なことも見逃さないように。
私たちが日本を、神戸を楽しんでいるように、皆さんにこの本を楽しんでいただけることを願っています。
『キャプテン翼』の世界の住人となっていたのです
<『キャプテン翼』の国――翼と同じチームでプレーしたいという夢がありました。>
私と妻アンナは家族全員の人生を大きく変える次のステップについて考え抜き、慎重に検討していました。そんなとき、私のエージェントであり、友人であり、兄弟と言ってもいいジョエル・ボラスから電話がかかってきました。
「日本のクラブチーム、“ヴィッセル神戸”の三木谷浩史オーナーが、君を獲得したいと言っている」
日本?
ジョエルからの電話で「日本」と聞いても、私には何のイメージもわきませんでした。ところが、その後、三木谷オーナーとお話しをさせていただく間に、私のなかの日本への遠い記憶が呼び覚まされてきました。私自身のサッカーキャリアにとって、最も重要な瞬間について話していたそのときに、ずっと忘れていたことを思い出したのです。
私、アンドレス・イニエスタは1984年に生まれて以来、ずっとスペインのラマンチャ州アルバセーテ県にある、世界的には全く知られていない、人口わずか2000人あまりのフエンテアルビージャという街に住んでいました。
ところが私はその小さな街で、時空を飛び越え、何度も、何時間も、日本の偉大なマンガ家、高橋陽一先生が描く『キャプテン翼』の世界の住人となっていたのです。正直に言えば、当時はそれが“日本”という国のマンガだとは全く知りませんでした。『キャプテン翼』の連載がスタートした1981年、私はまだ生まれてもいません。
しかし、それでも運命の糸が私と1万キロ離れた日本を結び始めていました。それは、高橋陽一先生とアンドレス・イニエスタという二人のアーティストが築いた、特別なつながりだったのかもしれないと想像しています。