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イニエスタがJリーグに来たのは「キャプテン翼」のおかげ?「古ぼけた小さなテレビの前に座るたび、日本を旅していた」幼少時の思い出とは 

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アンドレス・イニエスタ

アンドレス・イニエスタAndres Iniesta

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photograph byTakuya Sugiyama

posted2022/06/05 17:01

イニエスタがJリーグに来たのは「キャプテン翼」のおかげ?「古ぼけた小さなテレビの前に座るたび、日本を旅していた」幼少時の思い出とは<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

来日5年目を迎えたイニエスタ。ヴィッセル神戸を選んだ理由にはキャプテン翼の存在があった?

 小さな子どもだった私はスペインの田舎町の家で、古ぼけた小さなテレビの前に座るたび、日本を旅していたのです。ピッチの上で必死にボールを追いかけてプレーしていたオリベル、そしてベンジを観るために、私は日本に“いた”のです。

(※アニメ『キャプテン翼』はスペインでは『OLIVER y BENJI』というタイトルで放送。主人公の大空翼はオリベル・アトム、若林源三はベンジ・プライスという名前になっている)

エンドラインなどなきがごとく無限に広がるグラウンド

 テレビに映るのは、エンドラインなどなきがごとく無限に広がるサッカーグラウンド。一方、私がサッカーをしていたのは、学校の隣にあるちょっとした広さしかないコンクリートの、グラウンドというよりは単なるコートで、一角には一本の大きな木がそびえるように立っていました。

 後に私が『OLIVER y BENJI』の国でプレーし、さらに作者である高橋陽一先生にお会いできたことは人生最大の喜びのひとつです。実現するまでには30年近い歳月を待たなければなりませんでしたが、私たちはいずれ巡り会う運命だったのでしょう。

 当時としては、知る由もありませんでしたが。フエンテアルビージャで私はオリベルやベンジたちのユニフォームを着て、夢中でサッカーをしていました。いっしょに遊んでいた仲間は私を入れてたったの3人。役割は変わりばんこ。交代で主人公のオリベルになりきっていました。そのうちのひとりが2018年、日本へ向けて旅立つことになろうなどとは、誰ひとり思いもせずに。

 私たちは毎日サッカーをしていました。学校が終わればすぐにサッカーがしたくて友だちを探し歩き、日が暮れて母や祖母が「ごはんだよ!」と呼びにくるまで夢中で楽しんだものでした。

テレビで観たアニメがすべて変える用意をしてくれていた

 当時から私は、オリベルとベンジについてなら何でも知っていましたが、日本という国や日本のサッカークラブについては何ひとつ知りませんでした。なのに、テレビで観たアニメが私の生活をすべて変える用意をしてくれていたことに、私はいま改めて驚いています。

 高橋先生も、地球の裏側で『キャプテン翼』を食い入るように観ていた少年が、まさか日本のサッカークラブでプレーするとは想像していなかったでしょう。それだけでなく、その少年が34歳になって来日し、お気に入りのアニメが創り出された場所を探るため、突然目の前に現れ、ソワソワと落ち着きなく、興奮しながら丸一日スタジオで過ごすなんて夢にも思わなかったはず。

 私には『キャプテン翼』を生み出したクリエイターの現場をのぞいてみたいという夢と、翼と同じチームでプレーしたいという夢がありましたが、ついにそのひとつを叶えることができました。

(※イニエスタはヴィッセル神戸への移籍後、希望して高橋先生の仕事場を訪れた)

 逆に、高橋先生は優雅にボールとダンスしていた、『キャプテン翼』の愛読者に魅了され、わざわざバルセロナまで私のプレーを観に来られていたそうです。スペインを離れ、いまこうして地球の裏側でサッカーを続けていますが、私を引っ張ってきたのは、『キャプテン翼』の主人公である翼だと言っても間違いではないでしょう。

#3につづく>

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#3に続く
イニエスタが「うつ病」で苦しんだ日々「私はサッカーのやり方を忘れてしまったように…」最悪の時期からどうやって回復したのか

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