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「年を重ねても、僕はきっと問題児のまま」「遅刻の常習犯」鳥海連志23歳、“いたずら者なスター”という新・パラアスリート像
posted2022/06/03 17:02
text by
鳥海連志Renshi Chokai
photograph by
AFLO
〈#34 恩を返す〉
2016年のリオパラを9位という結果で終えたあと、競技をやめようと考えていた時期がしばらくあった。
1カ月に1回の頻度で行われる合宿のたびに学校を休み、それ以外の時期も自分で体育館を借りて毎日練習に励む。
友達と遊ぶ時間などさまざまなものを犠牲にしながら、100パーセントの力を投じて競技に向き合った。
そうやって必死に頑張って臨んだ結果が、9位。
僕自身も思うようなプレーが発揮できず、試合後にチームメイトにフラストレーションをぶつけてしまうこともあった。
高校卒業後はバスケから離れようと思っていた
世界の分厚い壁に弾き飛ばされ、もはや悔しさすら湧かなかった。「僕のやってきたことって一体なんなんだったんだろう」と大きな虚しさが心を占め、高校卒業後はバスケから離れようと思うようになっていた。
そこから紆余曲折を経て、僕は再び車いすバスケをつづけるという決断をしたわけだが、最終的な決め手になったのは「お世話になった人の思いに応えたい」という思いだった。
始まりの場所となった佐世保WBCの先輩たち。ここで叩き込まれた基礎技術がなければ、きっと僕は今のような僕ではいられなかっただろう。
先輩たちは僕にとって、チームメイトであり、コーチでもあった。自分たちのプレーにフォーカスしながら、右も左もわからない状態の中学生を教えるのは、そう簡単なことではなかっただろう。
最近、クラブチームやU23でキャリアの浅い選手たちにアドバイスをする機会が増えたこともあって、なおさらそう感じる。
中でも、先に紹介した「夏休み合宿」の受け入れ先になってくれた高野逸生さんには、感謝してもしきれない。
当時中学生だった僕を1カ月近く家に泊め、ごはんを食べさせ、練習に連れていってくれた。僕が高野さんの立場になったとして、同じことができるとはとても思えない。
僕の両親と同じくらいの年齢で、奥さんとふたり暮らしだった高野さんは、僕のことを息子のように思ってくれていたのかもしれない。高野さんほど器の大きい人に僕は出会ったことがない。
自分の本心をさらけ出すという意識が希薄だった
日本代表キャプテンのアキラさん(豊島英)は、僕が代表を辞退しようかと考えていたときに、心配して電話をかけてくれた。
「お前にはいろんな可能性がある。俺はお前と一緒にバスケをしたいと思っているけれど、お前がやりたいと思うことをやればいい」
チームで一番信頼していたアキラさんがそう言ってくれたことで、僕は再び前を向くことができた。