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「小学生のころはお父さんも選手で一緒に練習」井上尚弥の才能はどんな環境で磨かれたのか?「飢えたような目」をした父と歩んだ少年時代
text by
渋谷淳Jun Shibuya
photograph byMasashi Hara/Getty Images
posted2022/06/06 11:00
2014年4月6日、井上尚弥はプロ6戦目(当時日本最速)でWBC世界ライトフライ級王座を獲得。父・真吾トレーナーと肩を組んで喜び合う
まだ幼かった尚弥と拓真を中村が直接指導することはなかった。練習生はあくまで父親である。中村は厳しかった。
「井上の親父は下手くそでね。私の指導は基本重視で、ジャブ、ジャブ、ワンツー、ワンツースリー、あとはせいぜいアッパーくらい。それがうまくできない。かなり怒りましたよ。でも親父は熱心でした。私にミットを持ってもらいたいんでしょう、飢えたような目でこっちを見ているんです。ちょっと時間が空いて『オイ』って呼ぶと、すっ飛んできてミットを打ち始めましたね」
少年時代の練習は「学校のクラブ活動」に近かった
井上はこのころの父の姿、練習の様子をよく覚えている。
「小学生のころはお父さんも選手で一緒に練習していたので、自分たちのことをずっと見てくれているという感じではなかったです。そのあと別のジムに移ってからも、毎日そんなにきつきつにやっていたわけじゃない。従兄や友だちと一緒にジムに通ってたんですけど、お父さんが来るときは真剣にやって、いないとふざけたりしてました」
中途半端を嫌う真吾は選手として真摯に練習を重ね、子どもたちにも自宅での練習も含め、時間の許す限り情熱を持ってボクシングを教えていた。将来、オリンピックやプロの世界チャンピオンを目指してもいいようにと厳しい練習も課してはいたが、このころは仕事も忙しく、自身のトレーニングさえできない日もあった。結局、真吾はアマチェアで2戦2勝という戦績を残し、現役生活は息子の成長とともに自然消滅した。
井上の話を聞くと、当時の練習風景は、鷹の親が子に獲物の仕留め方を叩き込むというよりは、むしろ父親をコーチにした学校のクラブ活動のイメージに近い。真吾が息子たちの練習をイチからしっかり見られるようになったのは、井上が中学校に上がるころだった。<後編へ続く>