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「小学生のころはお父さんも選手で一緒に練習」井上尚弥の才能はどんな環境で磨かれたのか?「飢えたような目」をした父と歩んだ少年時代
text by
渋谷淳Jun Shibuya
photograph byMasashi Hara/Getty Images
posted2022/06/06 11:00
2014年4月6日、井上尚弥はプロ6戦目(当時日本最速)でWBC世界ライトフライ級王座を獲得。父・真吾トレーナーと肩を組んで喜び合う
チャンピオンは井上の足が止まった時間に攻勢を強めたが、それが通用したのはわずかな時間だった。井上は息を吹き返しかけたメキシカンにとどめを刺し、新記録つきの世界奪取を成功させたのである。
プロ2年目の21歳。“怪物”の異名にふさわしい強さを誇る若きボクサーは、いかにして誕生したのか――。それを探るには井上家とボクシングの出会いにまでさかのぼる必要があるだろう。
名トレーナーの証言「よく覚えているのは尚弥よりも…」
最初にボクシングを始めたのは父親の真吾だ。すでに結婚して4年目。24歳だった。
「自分はもともと格闘技が好きで、空手をやっていたこともあります。ただ10代のころは中途半端で、長くは続かなかった。ボクシングは家庭を持つようになってから始めたので、いい加減にはやりたくなかった。だから本当に真剣でしたよ。自分がどこまで強くなれるか。純粋にそれだけでした」
真吾は塗装業を営む傍らボクシングジムに足を運ぶようになる。長男の尚弥が小学校に入ると、父の姿にあこがれた尚弥と二男の拓真も一緒についてくるようになった。
当時通っていたのは、自宅のある神奈川県座間市にほど近い東京都町田市の協栄町田ジム。スイミングスクールの1階部分に併設されたボクンングジムだった。
このジムで週2回ほど練習生の面倒を見ていたのが中村隆である。中村は世界挑戦経験もある元日本ウェルター級王者の亀田昭雄や、世界タイトル連続13度防衛の“カンムリワシ”具志堅用高を育てたチャンピオンメーカーとして知られる。70歳になったいまも千葉県八千代市にある三谷大和スポーツジムでミットを構える、現役バリバリのトレーナーだ。
「よく覚えているのは尚弥よりも拓真。小学校に入る前ですからちっちゃくてね。しかもアフロヘアで可愛かった。スイミングに通う生徒や親が、みんな足を止めては拓真のことを見ていましたよ」