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《500人アンケート》あなたが選ぶ「〜90年代プロ野球・最強助っ人外国人」発表…“初の三冠王”ブーマー、落合博満絶賛の右腕は何位に?
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph byKoji Asarakura/Makoto Kenmizaki
posted2022/06/05 11:01
阪神、ヤクルトに在籍したオマリー(左)と、中日で活躍した郭源治(右)
8位)郭泰源 10票
8位にランクインしたのは、80年代後半から90年代前半の西武を支えた郭泰源(かく・たいげん/台湾)。
台湾出身の右腕は、入団1年目でノーヒットノーランを達成し、西武一筋13年間で6度の2桁勝利、117の勝ち星を積み上げました。その快速球から「オリエンタル・エクスプレス」の異名を持ち、切れ味鋭いスライダー、シュートも駆使して打者を翻弄。かの落合博満をして「手も足も出なかった」と言わしめた名右腕として語り継がれています。
「黄金時代の西武の中でも絶望感のあった投手! 見ていてカッコ良過ぎたのを覚えている!」(45歳・男性)
「あの落合(博満)さんが絶賛していたから」(14歳・男性)
「当時ヤクルトファンだったが日本シリーズで初めて見て、1回の投球を見て点を取れるイメージが全くわかなかった。落合氏も本気の郭泰源はすごいと言っていた」(47歳・男性)
「常勝ライオンズの黄金時代を支えたことが印象深い。長い手足と細身を生かした、しなるような投球フォームと、『オリエンタル・エクスプレス』の異名を取った快速球のいずれも、強く記憶に残る。当時、地方の高校球児(控え投手)だった私は見よう見まねで放ってみたが、体格が違いすぎ、球速も制球力も全くサマにならなかった」(53歳・男性)
7位)郭源治 18票
同じ台湾出身の郭泰源より4年早く来日し(81年)、中日一筋16年にわたって活躍した郭源治が7位に。
86年までは主に先発として活躍しましたが、星野仙一が監督に就任した87年、クローザーに転向。いきなり26セーブをマークし、翌88年(37セーブ)と続けて最優秀救援投手賞を受賞しました。同年はリーグ優勝にも大きく貢献し、MVPを獲得。躍動感あふれる投球フォーム、マウンドで見せた派手なガッツポーズは“郭ダンス”と称され、ファンに親しまれました。
「中日ドラゴンズ最強の抑え投手で優勝に導いたので」(63歳・男性)
「成績、人気度、ガッツで1番印象に残っています」(51歳・男性)
「郭源治の投げっぷりの良さを見て、本当にカッコいいと思ったものです。強気に押していく投球、それを自分のことのように喜ぶ星野監督。郭が最後投げて、ナゴヤ球場で優勝したシーンは、中日ファンにとって、永遠です」(45歳・女性)
「(ゲームソフトの)『ファミスタ』でも最強だったから! 使ったら反則のルールが私達のなかではありました」(40歳・男性)