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野球クロスロードBACK NUMBER
大阪桐蔭時代はデータ班、大学は3年間メンバー外…“不屈の24歳右腕”がドラフト候補になるまで 西谷監督「ホンマに粘り強いなぁ」
posted2022/06/02 11:01
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph by
Genki Taguchi
高校野球の最後をスタンドで終えた宮本佳汰は涙が出なかった。いや、出せなかった。
野球を続ける理由はそれだけで十分だった。
「今の自分のレベルに合った大学に入るか、高いレベルの大学で揉まれるか。宮本はどっちがいいんや?」
進路の面談で宮本は、大阪桐蔭の西谷浩一監督から二択を提示された。
答えはすぐに出せた。
高校までは理想を追い求めた。今後は現実を見据えながら力を試したかった。
全国の猛者がしのぎを削る東京六大学リーグや東都大学リーグ、首都大学リーグのようなトップレベルは、今の自分では通用しない。ただ、優れた選手が集まりやすい関東で、新たなキャリアをスタートさせたかった。野球に集中できる環境はもちろんだが、高校同様、再び両親に支援してもらうことを考慮すれば将来に役立つ資格が欲しいと、保健体育の教員免許を取得できる大学への進学を望んだ。
宮本が選んだのは、東京新大学リーグに所属する東京国際大だった。
大学進学後、冗談交じりに「本当に大阪桐蔭なのか?」
それまでも進学実績があったとはいえ、「大阪桐蔭出身」は異色の存在だった。
「すごいやつが入ってきた」
そんな色眼鏡で見られるところから、宮本の大学生活はスタートした。
自分では身の丈に合った大学に入ったつもりでも、1年生からすぐに試合に出られるほど大学野球は甘くない。「技術不足なのはわかっている」と思っていたところで、周りがそれを許してくれるとは限らない。
「本当に大阪桐蔭なのか?」
そう言われたことも少なくなかった。ただし、ほとんどのケースでそれは蔑みではなく、仲間内でのネタのような意味合いだった。
「本当に普通に接してくれて。そこまで深刻に受け取るようなものではなかったですよ」
だからこそ宮本は、出自を意識することなく現状からの脱却に努められた。
伯母の助言から…「思い切ってサイドにしてみようって」
大学生活も1年が経とうとしていた2017年3月のことだ。「技術不足」だった宮本の日常に変化が訪れた。