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大阪桐蔭時代はデータ班、大学は3年間メンバー外…“不屈の24歳右腕”がドラフト候補になるまで 西谷監督「ホンマに粘り強いなぁ」 

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田口元義

田口元義Genki Taguchi

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photograph byGenki Taguchi

posted2022/06/02 11:01

大阪桐蔭時代はデータ班、大学は3年間メンバー外…“不屈の24歳右腕”がドラフト候補になるまで 西谷監督「ホンマに粘り強いなぁ」<Number Web> photograph by Genki Taguchi

憧れの大阪桐蔭に入学するも、3年間ベンチ外だった宮本佳汰。現在24歳の右腕はいかにして“ドラフト候補”と呼ばれるまで成長したのか

覚醒のとき…衝撃の「リーグ戦初登板初先発」

 成長曲線が第三者の目に触れる。

「なんでこのピッチャーが、Aチームで投げてないんだ?」

 宮本が4年生になる19年に監督となった角冨士夫が、ほのかに光を放つ素材に気づいたのである。元プロ野球選手の指揮官からAチームに抜擢されたサイドスローはオープン戦で結果を残し、春に初めてリーグ戦のメンバーに名を連ねた。公式戦でベンチ入りを果たしたのは、中学時代からおよそ7年ぶりのことだった。

 大阪桐蔭でトップレベルとの実力差を突きつけられ自信を喪失しかけたこともある男は、大学で本当の自分と出会い、時間をかけて丹念に刃を研いできた。

 宮本はそこで、ひとつの悟りを開いた。

「やれることはやってきたので、4年間メンバー外だったら『自分はそれまでの実力だったんだ』って割り切れたし。そこで結果を出せたなら成長できているし、伸びしろもあるってだけなんで、怖いもの知らずでぶつかれたっていうのはありましたね」

 19年5月12日、運命が動き出した。

 東京学芸大戦でリーグ戦初登板初先発のマウンドに上がった宮本が、ノーヒットノーランを達成したのである。「7四死球くらいあって毎回ランナーを背負っていたから、記録の実感がなくて」と笑いながら頭を掻くが、リーグ史上9人目、大学では初の快挙であることは紛うことなき事実だった。

「確実に自信がつきましたね。『ここまで通用するんだ』って思わせてもらえたし、本当に大きな転機でした」

大学4年時のブレイクで社会人野球へ。そして…

 宮本はチームの投手陣にとって不動の存在となった。秋のリーグ戦では主に抑えとして登板し、自己最速を更新する151キロをマーク。大学では通算2勝ながら、4年生でのたった1年間で強烈なインパクトを残した。光を求め彷徨っていたピッチャーは、サイドスローとなり道筋を切り拓いたのである。

 JR東海への入社の決め手となったのも、そのことが縁だった。監督の久保恭久が日産自動車で指揮していた時代の教え子である東京国際大の石田祐介コーチから、「変則ピッチャーを探してるみたいだぞ」と話があり、練習会に参加したことで久保の目に留まった。

【次ページ】 今思う、ベンチ外だった「大阪桐蔭時代」

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