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誰もが目を疑った“ノムさんの涙”…17年前、なぜ野村克也は人前で泣いたのか?「志太さんには申し訳ない」「サッチーと大げんかしたんだ」

posted2022/06/02 11:02

 
誰もが目を疑った“ノムさんの涙”…17年前、なぜ野村克也は人前で泣いたのか?「志太さんには申し訳ない」「サッチーと大げんかしたんだ」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

2002年11月~2005年11月まで3年間シダックス野球部監督を務めた野村克也

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加藤弘士

加藤弘士Hiroshi Kato

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JIJI PRESS

誰もが「ノムさんは終わりだ」と思った――。2001年に阪神の指揮官を退いた後、野村克也にはほとんど触れられていない「空白の3年間」がある。社会人野球・シダックスでの日々だ。
当時の番記者が関係者の証言を集め、プロ野球復帰までに迫ったノンフィクション『砂まみれの名将 野村克也の1140日』(新潮社)が5刷とベストセラーになっている。

そのなかから、2005年末、野村克也が涙ながらにシダックスに別れを告げる場面を紹介する(全2回の1回目/後編へ)。

「ノムさん清原獲り」何でも記事になった

 2005年、師走。

 野村はプロ野球界に戻った。

 12月2日には仙台市内のホテルで楽天監督の就任会見に臨んだ。3年契約で契約金1億円、推定年俸1億5000万円。会見場には130人もの報道陣が集結した。あまたのフラッシュに照らされながら、弱小球団の再建へ、眼光鋭く40分にわたって意欲を語った。

「年齢も年齢で、おじいさんの年代に入ったから、思い切ったことができるんじゃないか。万が一、失敗しても失うものは何もない」

「他球団では一からだが、今回はゼロから。苦労するのは予想がつく。私は弱小球団、最下位のチームと縁がある。南海、ヤクルト、阪神と弱い球団ばかりだったから、弱者の戦略は染み付いている」

「選手に厳しくなることは当たり前。タレントじゃないから、茶髪、長髪、ひげは認めない。お坊さんが修行するように、頭を丸めるぐらいの気持ちで来てほしい。不平不満は結構。それをぶつけるところさえ間違わなければ、エネルギーになる」

 新興IT球団とプロ野球界のオーソリティーともいえる名将との掛け算は、魅力的だった。何でも記事になった。

「ノムさん清原獲り」

「ノムさんがロジャー・クレメンスへラブコール」

「ノムさんがメッツ・石井一久逆転獲得へ秘策アリ」

 新天地での野村は舌もなめらかだった。楽天の番記者にはリップサービスを惜しまなかった。シーズンオフのネタ枯れの時期。スポーツ各紙はその一挙手一投足を報じた。

誰もが目を疑った“野村の涙”

 監督就任会見から1140日。

 シダックスに別れを告げる日がやってきた。

 12月19日、渋谷のシダックスビレッジで行われた、志太(勤会長〈当時〉)の主催による送別会だ。

 会の冒頭では志太が3年間のねぎらいとともに、はなむけの言葉を送った。

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