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「一体、私は誰のために滑っているのか」止まない誹謗中傷、挫折…どん底の本田真凜を救った“浅田真央の1時間レッスン”
posted2022/05/30 11:04
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
Miki Fukano
シニアになってシーズンを過ごしていく中、本田真凜は大会後に決まって、「ジュニアの頃のように」と繰り返し口にしていた。
「ジュニアとかノービスの時代は練習よりも試合を楽しみにしていて、試合を頑張ろうという感じでした」
なのに、シニアになってから試合を楽しめない自分がいた。
アメリカに拠点を移し、これで自分のペースで過ごせる、そんな希望も抱いた。だが、過熱した周囲の注目や関心はおさまらない。さらに傷つく事態もあった。
やめられないエゴサーチ「傷つくと分かっていても…」
本田がメディアで取り上げられれば、その記事やSNSには様々なコメントが書き込まれた。いろいろな人がいる。だから、批判的な言葉や悪質な誹謗中傷もあった。今や、スポーツに限らず、大きな社会問題ともなっているが、本田もその標的となった。
「たくさんいいコメントがあったとしても、自分にとって傷つく言葉が1つあったら、それがずっと心に残ってしまって……。わざわざそういう言葉を探すようになっていた時期もありました」
気にしなければいいのにと思う人もいるかもしれない。だが、一度目にしてしまえば、「他にももっと書かれているのではないか」と不安は募る。そうした心理に陥ってしまうのは、なにも本田だけでなく、多くのアスリートや著名人はもちろん、もしかすると、有名無名に限らない。
また、見てもらう、表現をし伝えることを内包するフィギュアスケートの選手たちは常に演技への反応を気にしてしまう環境もある。本田は言う。
「選手は皆さんよく自分の演技の反応をエゴサーチしているんです。例えばアイスショーで初めてプログラムの演技をしたときに、お客さんの反応が知りたくて、空いている時間に一斉に検索していたりする。見慣れた光景ですね。でも、私は悲しくなったり傷つくのは分かっていても、自分から探しにいってしまうんです」
本田があらゆる状況に葛藤し、成績もジュニアの頃とは異なる一方で、同世代の選手たちが成長し、活躍していた。しかし、不思議とそれが苦になることはなかったと言う。
「私はずっとそれぞれのスケーターのファンなんです。小さい頃から一緒にやってきて、みんなのことをよく知っているので。いい演技をしていたりすると純粋にすごく嬉しい。私が悩んでいることにも気づいて声をかけてきてくれたり、手紙を書いてくれる人もいました。スケーターって、みんな優しいんですよ」
深まる葛藤「私にとってスケートって何なんだろう?」
アメリカに移籍した本田だったが、大学進学などもあって、日本に帰国。しかし、同時期に新型コロナウイルスの感染が拡大し、フィギュアスケートも無観客での試合が続いた。それが本田の葛藤をさらに深める。