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「結果と注目度の差に自分がついていけなかった」本田真凜20歳が振り返る“浅田真央2世と言われたジュニア時代”《特別グラビア》
posted2022/05/30 11:03
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
Miki Fukano
語られる言葉は、あらためて長いスケート人生を思い起こさせ、その中にあった、さまざまな表情をも思い出させた。
「いつまでも歳下の立場だと思っていたんですけどね」
本田真凜は笑みを浮かべる。
昨夏、20歳の誕生日を迎え、新春には成人の日を過ごした。
今年4月には明治大学3年生となり、上級生の立ち位置にいる今を捉えての言葉は、早くから頭角を現したスケーターとしての歩みをも示していた。その足取りをどう感じているのか――過去、現在、未来を、話し始めた。
「浅田真央2世」「天才少女」と呼ばれて
まだ幼い2歳の頃にスケートを始めた本田は、次の時代を担う存在として、その才能が早くから期待を集めていた。
数々の輝かしい成績はもちろんのこと、大ヒットドラマで名子役として活躍していたすぐ下の妹・望結の存在も大きかっただろう。注目と関心は、いつしかフィギュアスケートという枠すらも超えていった。
事実、その才能は光っていた。小学生の頃から国内外の大会で好成績を残し、6年生で日本スケート連盟の強化選手に選出。世界国別対抗戦やNHK杯などのエキシビションにも招待された。2015-2016シーズンには、世界ジュニア選手権に中学2年生で出場し金メダルを獲得する。浅田真央と同じ14歳での優勝に「浅田真央2世」の見出しも踊り、帰国時の空港には10台近いテレビカメラと40名を超える報道陣が詰めかけたことも、関心の高さを表していた。
翌シーズンも勢いは止まらない。インフルエンザの療養明けで臨んだ全日本選手権は表彰台にあと一歩と迫る4位と好成績を残した本田は、シーズンを締めくくる世界ジュニア選手権で再び輝きを放つ。ショートプログラム、フリーともに完璧な演技を披露し、優勝したアリーナ・ザギトワには及ばなかったものの、ザギトワとともにジュニア史上初の200点超えで銀メダルを手にしたのである。セレモニーではザギトワ、3位に入った一学年上の坂本花織と並んだ。
異例中の異例、世界フィギュアが生中継され……
この時の、本田への関心の高さを物語るエピソードがある。世界ジュニア選手権の女子フリーをフジテレビが地上波で、ライブ中継したのである。しかも放送時刻は午後7時から午後9時までのゴールデンタイム。まさに異例中の異例と言えた。それが実現したのは、本田が出場していたから、だった。異常な熱気の中心にいるのが自分であることも自覚していた。何よりも大会でのメディアの熱を感じ取っていた。