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オリンピックPRESSBACK NUMBER
“父が医師”の環境で育った兄弟は、なぜプロクライマーになれたのか? 楢崎智亜・明智の仲良しすぎる幼少期《木登りで骨折も!?》
text by
石井宏美Hiromi Ishii
photograph byUDN SPORTS
posted2022/05/24 06:00
左・智亜(小3、9才)右・明智(年長、6才)。小さい頃から仲が良く、弟・明智はいつも兄の友達に混ざって遊んでいたという
――智亜選手は高校卒業後、大学には進学せずプロに転向されました。
智亜 プロになるかどうか迷っていた頃、日本ではまだクライミングだけで食べて行けてる人は1人か2人しかいませんでした。しかも当時、僕はまだ世界チャンピオンにもなっていなかった。そのときに父親には「プロになって2年以内に成績が出なかったら無理だと思うよ」と言われていて。2年目でギリギリ成績を出すことができたときは本当に良かったなと思いましたし、ホッとしましたね。
明智 僕がプロになったときは、智くんの時とは違って、(野口)啓代ちゃんや(野中)生萌ちゃん、(藤井)快くんとか、クライミングで生計を立てる人が増えていて、さらに新競技として東京五輪に追加されることも決まっていました。そういった意味ではあまり悩まずにプロに挑戦できたと思います。
逆にいえば、それ以外の道は選択肢になかったですね。実は中学の頃、僕は学校があまり好きではなくて、若干、不登校気味だったんです。父親には「きみは智亜みたいに上手に泳げないから、沈んでみたらいいんじゃない?」「最後には親はちゃんとサポートしてあげるから」みたいなことを言われて、じゃあ頑張ろう、と。
智亜 父親はすごく口数が少なくて、いつも重要なことはぼそっと言ってくるタイプ。でも、その一言がいつも力になっていますね。優勝してもメッセージが「金(メダル)」だけですよ(笑)。
明智 僕が2018年の世界ユース選手権(ボルダリング)で優勝したときも「祝」という絵文字だけだった(笑)。
「いつも一緒に遊んでいたような気がします」
弟・明智がクライミングを始めたのは兄・智亜の影響が大きいという。幼い頃から兄について回り、兄を追い続けた。
――兄弟の仲はどうだったんですか。
智亜 明智は見ての通り、背が高い(187cm)んですけど、小さい頃から大きかったんですよ。同級生と遊ぶことももちろんありましたけど、僕についてきて、僕の同級生とよく遊んでましたね。いつも一緒に遊んでいたような気がします。
明智 確かに、むしろ同級生より智くんの同級生の友達の方が多かった。
智亜 器械体操をやっていたんですけど、それにもはじめ(明智は)見学で来ていて、その後、彼も同じクラブでやるようになったんです。
明智 でんぐり返しぐらいしかしなかったけど(笑)。バク転もバク宙も逆立ちもやれないまま辞めてしまいました(笑)。