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「危ないから帰ってきて。これは戦争なのよ」ロシア名門ボリショイバレエ学校に留学中の18歳に突きつけられた現実「すぐには理解できなかった」
posted2022/05/20 11:00
text by
イワモトアキトAkito Iwamoto
photograph by
Akito Iwamoto
愛知県大府市、静かなスタジオに古典バレエの名作『ライモンダ』の音色が流れる。鏡に映る自分の姿を見つめながら何度も振付を確認する。玉のような汗がほほを伝う、梶川陽菜18歳。踊りたい、もっと。いつかプロのバレリーナとしてボリショイに戻る日を信じて。
危ないから帰ってきて。これは戦争なのよ。
2月24日、ロシアの名門ボリショイバレエ学校留学中にその一報は入った。スマートフォンの画面に映し出された『ロシア軍がウクライナ侵攻』の意味をすぐには理解できなかった。窓の外には昨日と変わらない日常の景色、もうすぐバレエのレッスンが始まる。講師のアントニチェバにウクライナ侵攻のことを聞いても「大した事ではないわ」の一言で片づけられた。
本当は何が起きてるの。宿舎に置かれたテレビからは陽気な歌謡曲しか流れてこない。ロシア国内のニュース番組から真実を得ることはできなかった。スマートフォンに流れてくるニュースから伝わるウクライナの戦禍、日に日にその色は濃くなっていく。実家のある愛知で母・久実子さんは眠れない日々を過ごしていた。
「危ないから帰ってきて、お願い、陽菜」
「えっ、お母さん。こっちは何ともないよ。帰らなきゃダメなのかな」
「あなたの気持ちもわかる。でもね、これは戦争なのよ」
「うん、でも……」
5歳で始めたバレエ「本場で踊れる」
5歳から始めたバレエが陽菜の全てだった。小学校が終わればいつもスタジオへ走って向かった。家でテレビを見るときも常にストレッチをしながら。最近ハマっている韓国のアイドルも注目するのはその表情や指先の使い方。「表現が上手だなって」と目を輝かせる。
やがてバレエで全国大会1位に。2年前、しなやかな演技がボリショイバレエ学校の目にとまり留学の誘いを受けた。
バレエの本場で踊れる——そう思うと心が躍った。高校2年の夏、友達に別れを告げると「陽菜なら絶対大丈夫だよ」と背中を押してくれた。ロシア語を猛特訓、もちろん踊りにも全力を注いだ。
2020年冬にモスクワへ。幼いころから憧れたボリショイ劇場で観た『ライモンダ』が今も目に焼き付いている。1年目は研修生としてバレエの基礎を叩き込まれた。研修生を経て留学生へ、夢への扉は開いた。