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[本命馬たちはなぜ敗れたか]戦国ダービー、1番人気の蹉跌 フサイチホウオー/アドミラブルほか
posted2022/05/20 07:03
text by
軍土門隼夫Hayao Gundomon
photograph by
Photostud
予想は願望に似るが、大方のそれが外れる時、ドラマは起きる。世代トップを懸けた決戦で、最も推される重圧と恍惚。フサイチホウオー、アドミラブル、ワールドエースという奇縁で繋がる3頭にも、時は違えど物語は紡がれた。鞍上と調教師が、それぞれの敗戦の真相を明かす──。
ダービー馬はその年を象徴する存在だ。
でもダービーの1番人気馬──もっと言うと1番人気でダービー馬に勝てなかった馬にもまた、時代の記憶は生々しく映し出されている。なぜあのとき、あの馬に期待したのか。そしてなぜ敗れたのか。それを知るのは過去の自分を知ることにも似る。
ダービーを初めて1番人気で負けたのは第2回、1933年のアスリートだった。結果は3着、優勝はカブトヤマだった。
最も大敗したのは'62年カネツセーキで、フエアーウインの28着。この年は史上2番目タイの32頭(最多は33頭)立てだった。
'69年タカツバキはスタート直後に挟まれて落馬し、史上唯一の1番人気での競走中止となった。ダイシンボルガードの年だ。
皐月賞の創設後は、1番人気の多くが同レースの勝ち馬となる。馬券発売のあった過去80回中、37回がそうで、古くは'49年トサミドリ(7着)や'73年ハイセイコー(3着)から昨年のエフフォーリア(2着)まで枚挙に暇がない。皐月賞ではないが、すでに2歳GIを勝っていた'18年ダノンプレミアム(6着)もその類いといえる。
ダービーは敗れたが、その後にGIを勝って1番人気に相応しい馬だったことを証明した馬も少なくない。'88年サッカーボーイ(15着)、'96年ダンスインザダーク(2着)などは、そのほんの一部の例だ。