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「実はアナ志望ではなかったんです」草野仁78歳に聞く“NHKのエース実況アナ”になるまで「いま実況するなら…フィギュアかな」
posted2022/05/14 11:01
text by
荘司結有Yu Shoji
photograph by
Hidenori Daikai
幅広いジャンルの番組の「顔」となっているが、元々は「アナウンサーは第4志望だった」そう。どんな経緯でスポーツ実況の門を叩いたのか。実況を担った数々の五輪の中で一番印象的なシーンは。そして今実況するとしたら、どの競技に惹かれるのか――(全3回の2回目/#1、#3)。
採用通知を見て仰天「アナウンサー志望じゃなかった」
――東大を首席卒業して、アナウンサーとしてNHKに入局しました。学生時代からアナウンサーを目指していたのでしょうか?
草野仁さん(以下、草野) それがアナウンサーになりたいなんて、一度も思ったことがなかったんですよ。
――アナウンサー志望ではなかったんですか?
草野 第4志望まで埋めないといけなくて渋々書いたのが、まったく考えてもない「アナウンサー」でした。私はテレビ局の取材記者になりたかったんです。
――テレビ局の取材記者志望だったんですね。
草野 なぜテレビかと言うと、就活前にちょうど前回の東京五輪がありましてね。その時に、これからはテレビの時代だと思ったし、ジャーナリスティックな仕事がしたいなと。それで、NHKの試験を受けてみることにしたんです。なんで、届いた採用通知の「アナウンサーとして採用する」を見た瞬間は、もうびっくり仰天ですよ(笑)。
――やはりお声が良かったからなのでしょうか?
草野 後々ようやく教えてもらえましたが、NHKはラジオ時代からずっと希望者の中からアナウンサーを選んでいたそうなんです。ところが東京五輪をきっかけに、テレビ番組の枠やジャンルがどんどん増えていった。そうなると、多様な人材が欲しいわけです。
それで私が採用を受けた頃から、応募者全員にマイクテストをやって、見込みのありそうな学生をアナウンサーとして採用したらしい。言われてみれば、確かにマイクテストがあったんですね。しかも幸か不幸か途中で引っかかることなく、スラスラと読めてしまったんです(笑)。
報道志望がなぜ“実況アナ”に?「もっと能動的にやりたい」
――ただそこから草野さんは報道アナウンサーではなく、スポーツアナウンサーとしてのキャリアを長く続けられてきましたよね。報道志望がなぜスポーツに?
草野 当然、最初は報道アナウンサーとしてやっていきたいと思っていました。ですが、すぐに考えが変わりましたね。最初の配属先の鹿児島で、東大の宇宙空間観測所(現JAXA内之浦宇宙空間観測所)と中継を結んで、特別番組があったんですね。担当アナウンサーは、宇宙工学の専門知識が豊富な方でした。でも、番組内では社会部の記者や解説者の話を回す、いわばタイムキーパーでしかなかったんです。
それを見た時に、もっと能動的、機能的にできる仕事はないか、と考えて、スポーツ実況を思いついたんです。スポーツはラジオの時代から、アナウンサーが取材者でもありましたから。そこで「スポーツアナウンスの分野で東京に戻ろう」と戦略を立てはじめました。
――その戦略が功を奏して、モントリオール五輪の担当に抜擢されたんですね。