Number ExBACK NUMBER
スポーツ万能少年が東大首席に 草野仁78歳が振り返る“伝説だらけの学生時代”「父から『部活を辞めろ』と言われて…」
posted2022/05/14 11:00
text by
荘司結有Yu Shoji
photograph by
Takashi Shimizu
新生活が始まり、学業や部活動の目標を新たにした学生たちも多いはず。まさに文武両道の「スーパーひとしくん」は、どんな幼少期を過ごし、東大首席卒業に至ったのか? 数々のスポーツ万能秘話を聞いた(全3回の1回目/#2、#3へ)。
知られざる幼少期「わんぱくリーダーでした(笑)」
――お茶の間では温厚なイメージを持たれている草野さんですが、幼い頃はどんな子どもでしたか?
草野仁さん(以降、草野) とにかく外でめいっぱい遊び、家に帰ったら極力何もせずに寝る、そんな少年でしたね。私は4人きょうだいの末っ子として満州で生まれたのですが、引き揚げ後は長崎県島原市で暮らしておりました。
父はシベリアに抑留され、帰国したのは3年半後。当時はとても貧しく、ゼロから生活を再建せねばなりません。まさに「あばら屋」と呼ぶのがぴったりな古い家で暮らしていたので、勉強机もなかったんです。私はこれ幸いとばかりに、勉強なんてせず、ひたすら野原を走り回っていましたね(笑)。
――お父さまも運動能力がずば抜けていたとか。
草野 父は今の私より一回りも大きい、筋骨隆々のスポーツマンでした。旧制高校時代には、我流で砲丸投げをマスターして、インターハイで優勝しているんですよ。「当時の大会記録で勝った」といつも自慢しておりました。
――その影響を受けて、草野さんも……?
草野 そうですね(笑)。そのDNAを兄弟の中では私が一番強く受け継いだようで、小さい頃から運動神経はよかったです。まずかけっこをすると、ずば抜けて足が速い。ドッジボールでは強い球が投げられるし、バットを振ればホームランも出る。相撲も負けた記憶はないですね。まあ、小さな学校でしたけど、そういう意味ではわんぱくリーダーだったかな(笑)。
最初に入ったのは“野球部”だった「新人戦でいきなり4番」
――そのまま中学校に進学されて、どの競技に打ち込まれたんですか?
草野 とにかく当時は大人も子どもも一番注目していたのが野球。その流れのまま、私も野球部に入部しました。ところが、打撃練習でホームランを連発していたからか、いきなり1年秋の新人戦でまさかの4番に据えられまして……。
――中学1年生にしてホームランを連発して4番ですか。