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スポーツ万能少年が東大首席に 草野仁78歳が振り返る“伝説だらけの学生時代”「父から『部活を辞めろ』と言われて…」
text by
荘司結有Yu Shoji
photograph byTakashi Shimizu
posted2022/05/14 11:00
数々の番組の「顔」を務めてきたTVキャスターの草野仁さん(78)。学生時代から抜群の運動センスで数々の伝説を残してきた人物でもある
草野 実は京大に行くことも考えていたんです。でも、兄2人がどちらも東大にストレートで入っていましたから、「別な大学に行くのも癪だな」と生意気なことを考えまして(笑)。とりあえず東大を受験したんです。
合格発表はキャンパスのバレーコートであったのですが、次々と看板がかけられていく中で、一目して私の受験番号「727番」はなく……。ろくに勉強もしていなかったのに、涙がうるっと溢れてきましてね。もう一回だけチャレンジしたい、と浪人を決めて上京しました。今はもうありませんが、古くて小さな予備校でしたね。
――そうして2度目の東大受験に挑んだのですね。
草野 2回目の受験が終わった後は「100点のうち75点くらいは取れただろう」と、自己分析できる力は付いていましたね。今回は大丈夫だろうと思ったし、蓋を開けてみれば合格でしたが、兄たちはなぜかすごく心配していて。
というのも、当時は不合格者の点数を教えてくれるシステムがあったそうなんですが、1回目の受験の後に兄たちがこっそり取り寄せたら、点数がものすごく悪かったようで(笑)。あとから、「お前、相当足りなかったぞ」と言われました。
念願の入学「本当は東大野球部に入りたかったんです…」
――大逆転の東大合格だったんですね。ようやく1年の浪人生活を終えて、大学では何かスポーツを始められたんですか?
草野 いや……本当は東大野球部に入りたかったんです。肩が強かったので、体育の授業でキャッチボールしているのを見た監督から「野球やらないか?」と誘われてもいましたし。ただ、父から「学費は送ってやるからアルバイトも部活もするな。しっかり勉強をしろ」と言われてしまいまして、大学でもスポーツには手を出しませんでした。
――勉強一筋のキャンパスライフだったと。
草野 そうですね。とにかく授業に休まず出席して、教室の一列目のセンターに位置取り、先生の話を書き留める。これさえやっておけば、大学のテストなんて楽なものです。試験の前にノートをめくって確認しておけば十分でした。
当時は「優」「良」「可」という評価でしたが、3、4年は1科目の「良」を除き、すべて「優」を並べられまして。先生に「文学部でトップ(首席)だったぞ」と言われましたね。医学部や法学部とかと比べたら、大したことじゃないんですけれど。
全く運動していないのに“国体予選で優勝しちゃった”話
――ただ勉強一筋とお話しされていますが、「東大在学中には相撲の国体予選で優勝した」というエピソードもありますよね。これはどんないきさつだったのでしょうか?