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スポーツ万能少年が東大首席に 草野仁78歳が振り返る“伝説だらけの学生時代”「父から『部活を辞めろ』と言われて…」
text by
荘司結有Yu Shoji
photograph byTakashi Shimizu
posted2022/05/14 11:00
数々の番組の「顔」を務めてきたTVキャスターの草野仁さん(78)。学生時代から抜群の運動センスで数々の伝説を残してきた人物でもある
草野 4番サードに据えられまして、こっちも「打ってやろう」と力んでボール球も全部打ちにいったら、11打数2安打という酷い成績を残してしまいました(笑)。
ただやっぱり自分は走るのが得意だから、陸上をやろうかなとふと思いまして。田舎の学校でしたので陸上部がなく、2年生の春に自分で創部して、自ら部長になったんです。
――野球部から陸上部に。しかも陸上部は草野さん自らが創部したんですね。
草野 「陸上部ないけど作っていいですか」「ああ、いいじゃないか」っていうことで。私の専門は100mと走幅跳でした。言ってしまえば、後のカール・ルイスですね(笑)。地元では負けなしだったので、すっかり調子づいていました。
ただ3年生の県大会で100mをスタートで失敗、走幅跳は勝ってやろうと思っていたら、180cmを超える大男が出てきて全然勝てなかったんですよ。陸上への思いが続いたのは、この敗戦の経験があったからだと思います。
父から突然の“禁止令”「スポーツマンとして大成しない」
――そこから高校でも陸上を続けられて、1年生の時には早くもインターハイ決勝進出レベルのタイムをマークしたそうですね。
草野 高校では100mを中心に頑張りまして、11秒2までベストが伸びたんですね。当時は11秒を切れば全国大会でもかなりいい線を行くと言われていたので、もう一息というところでした。
でも、2年生に上がった直後に、突然父から「お前、そこ座れ」と呼び出されまして……。部活をやめろ、と。
――突然ですね。
草野 父は貧しい家庭に生まれ、自力で人生を切り開いていった苦労人でした。そんな父から見ると、私は「結果が良い時は調子づくが、負けるとすぐ駄目になる」「スポーツマンとして大成しないタイプだ」と。
それから「仮に陸上を続けたとしても、スポーツマンとしての人生は実に短い。今のお前みたいにロクに勉強もしないと、何も残らないぞ」と言われまして、勝手に退部届を出されてしまいました。
――厳しい言葉ですが、今で言う「セカンドキャリア」を見通していたのですね。
草野 今後の長い人生のためにも、しっかり腰を据えて勉強してほしい、という思いはわかります。でも、急に走るのを止めたら寂しいじゃないですか……。結局、すぐに真面目に机に向かうこともなく、ダラダラしてましたね。
1度目の東大受験は不合格「涙がうるっと溢れてきましてね」
――真面目じゃないダラダラしている草野さんは意外です。それにしても、そこからどうやって東大に合格されるんですか?