フィギュアスケートPRESSBACK NUMBER
「街を守るために留まりたかった」17歳&20歳のウクライナ代表が語る“故郷を離れた2カ月間”「どれほど苦しいか、到底言葉で言い表せない」
text by
荘司結有Yu Shoji
photograph byGetty Images
posted2022/04/29 11:03
祖国を離れざるを得なかったアスリートたちは何を思うのか。北京五輪フィギュアスケート・団体ペアウクライナ代表のソフィア・ホリチェンコ、アルテム・ダレンスキー組がメールインタビューに応じた
「最後まで戦い抜くことをこの曲で伝えたかったのです」
移動に多くの時間を費やし、世界選手権に向けた調整はできなかった。SPは14組中13位。SP曲を急きょ、ウクライナのロックバンド「THE HARDKISS」の「Zhiva(生きている)」に変えた理由について、ホリチェンコはこう語る。
「私たちはウクライナとその人々を援護するため、使用曲を変えました。ウクライナの強さと、決して諦めないという思い、最後まで戦い抜くということをこの曲で伝えたかったのです」
成績を残すためではなく、ウクライナの連帯を世界に示すという思いが色濃く出た演技だった。
次のシーズンに向けても、ウクライナの楽曲を使う可能性が高いという。練習不足からフリーは滑走しなかったが、ショートの2分40秒の演技は観衆の心を揺らしたはずだ。
ポーランドリンクは4月末に閉鎖「とても感謝しています」
ウクライナを離れた二人はトルンのスケートリンクを拠点としてきた。同じくウクライナのアイスダンス代表のアレクサンドラ・ナザロワ、マキシム・ニチーキン組も、リンクを共にしている。アクロバティックな技が多いペアの練習はリンクを大きく使うが、市民向け施設のため十分な広さはなく、一般のスケート客と交代制で使うため、練習時間も限られているという。
「たくさんの選手がいるので、十分なトレーニングをすることはできません。それでも私たちを受け入れ、リンクを提供してくれたポーランドの皆さんにとても感謝しています」(ホリチェンコ)
そのスケートリンクも予算上の事情などにより今月末をもって一時閉鎖される。現地在住の日本人コーディネーターで、自ら寄付を募って支援活動を続けている藤田泉さんによると、リンクにはウクライナ中から40人以上の将来有望なジュニアスケーターらも身を寄せており、閉鎖されれば彼らの練習場は失われてしまうという。
今後はイタリアのアイススポーツ連盟の支援により、二人はイタリアへと拠点を移す計画だ。ふたたび母国に戻る目処は立っていない。二人の父は前線で母国を守り、母や友人は緊迫した銃後の暮らしを送りながら、一刻も早い再会を待ちわびている。