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「街を守るために留まりたかった」17歳&20歳のウクライナ代表が語る“故郷を離れた2カ月間”「どれほど苦しいか、到底言葉で言い表せない」

posted2022/04/29 11:03

 
「街を守るために留まりたかった」17歳&20歳のウクライナ代表が語る“故郷を離れた2カ月間”「どれほど苦しいか、到底言葉で言い表せない」<Number Web> photograph by Getty Images

祖国を離れざるを得なかったアスリートたちは何を思うのか。北京五輪フィギュアスケート・団体ペアウクライナ代表のソフィア・ホリチェンコ、アルテム・ダレンスキー組がメールインタビューに応じた

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荘司結有

荘司結有Yu Shoji

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ロシアのウクライナへの侵攻開始からはや2カ月以上が経った。戦闘は長期化の様相を見せ、ウクライナのスポーツ界にも深く暗い影を落としている。

北京冬季五輪フィギュアスケート・団体ペア同国代表のソフィア・ホリチェンコ(17歳)、アルテム・ダレンスキー(20歳)組は、戦火を逃れるため、ポーランドへと避難した。ポーランドのリンクは4月末に閉鎖され、二人はイタリアへと渡る。母国の地を踏む日は、いつ来るのだろうか。ポーランドから寄せられた二人のメッセージを届けたい。

 3月23日に開幕した世界選手権・ペアショートプログラム最初の演技者となったホリチェンコとダレンスキー。多くの拍手と喝采を浴びながら、フランス・モンペリエのリンクへと姿を見せた。

 母国を離れ、リンクに立つまでの複雑な心境をダレンスキーはこう振り返る。

「世界中の人々からのサポートを受けて氷上に行くまでは、自分は必要とされている場所にはいないと思っていました。正直なところ、家族と一緒にいたかったし、街を守るために留まりたかった。世界選手権に出たいとは思っていなかったのです。しかし父から『ウクライナのアスリートが国のために戦う姿を示すべきだ』と背中を押されました。私はウクライナの人々に『あなたは一人じゃない』というメッセージを届けたいと思い直したのです」

毎日サイレンが鳴り響き、夜になるとロケットも

 リンクにたどり着くまでは、険しい道のりだった。2月の北京五輪から帰国すると、母国にはすでに暗雲が立ち込めていた。北京五輪閉幕からわずか4日後、ロシアがウクライナへの軍事侵攻を開始。同国東部のドニプロに滞在していた二人は、国境近くの町チェルノフツィまで車で16時間以上かけて移動し、バスでルーマニアへと国境を越えた。避難前の市街地の様子を、ダレンスキーはこう語る。

「ドニプロでは毎日サイレンが鳴り響き、夜になるとロケットも飛んでいました。私たちは空港から5kmほど離れた場所に住んでいたので、様々な着弾音や爆発音も聞こえました。結局、空港自体も破壊され、私たちが離れる頃には何も残っていませんでした」

 ウクライナでは国民総動員令により、原則として18~60歳の男性の出国が禁じられている。20歳のダレンスキーも一時は出国が危ぶまれたが、同国青年スポーツ省の出場許可を得て、母国を後にしたという。空路でイタリアを経由し、ポーランド中北部の都市トルンに到着。4日間の、暗くて長い旅路だった。

【次ページ】 移転先のポーランドのリンクは4月末に閉鎖

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