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トレード危機の男が“落合博満から3奪三振”…元阪神・仲田幸司に聞く“9年目の覚醒”はなぜ?「藤浪晋太郎の気持ちがよくわかりますわ」
text by
岡野誠Makoto Okano
photograph byKichi Matsumoto
posted2022/04/21 11:00
「僕は、藤浪晋太郎の気持ちがよくわかりますわ」。元阪神・仲田幸司の半生に迫った
「88年の開幕前日、ホテルのフロントから『仲田さん、泉ピン子さんからお電話です』と連絡があって。ビックリしましたよ。何の面識もないですから。『明日投げるんでしょ!』と聞かれたから、思わず『はい、投げます』と答えてしまって(笑)。『頑張ってよ!』『いや、知恵熱出てまして……』『何を言うてるの! そんなんじゃダメじゃない! しっかり投げてよ!』って励まされました」
死球を機に「内角に投げづらくなりました」
阪神には頼れる先発が外国人のキーオしかおらず、若手の台頭が望まれていた。惚れ惚れするようなストレートを投げ込む仲田は、ファンの期待を一身に背負っていた。しかし、四球でリズムを崩しては痛打を浴びる。藤浪と同じく、最大の課題はコントロールだった。
「デッドボールを当てても、打者が『しゃあない』で済ませてくれるほど悪かったですからね。14年間プロで世話になりましたけど、乱闘1回もないんですよ。『故意ではない』と各球団にデータが回っていた(笑)。一度、クロマティ(巨人)に当てたんですよ。マウンドに向かってきたらバースの守る一塁に逃げるか、掛布(雅之)さんのいる三塁に行くか咄嗟に考えました。ところが、いつものようにチューインガムを膨らませて、ファーストに歩いてくれた。次の日の試合前、謝りに行ったら『あんなハエが止まるような球、痛くも痒くもないわ』って言われましたね(笑)」
90年9月2日の広島戦(広島市民球場)では、長内孝の頭部に当ててしまった。バッターボックス内で倒れたまま立ち上がれない姿に、球場中が騒然となった。翌日、仲田は病院へ謝罪に赴いた。長内は「まあ気にすんなよ」と寛大な対応を見せたが、マイクの心にはトラウマが残った。
「内角に投げづらくなりましたね。サインが出ても、『また当てたらどうしよう』という恐怖心でなかなか厳しく突けない。藤浪も同じだと思うんです。自分では投げているつもりでも、気持ちと体のバランスが取れてないから甘くなってしまう。リリースポイントのちょっとしたズレがボール1つ、2つ中に入っていく。周りは『藤浪は160キロ超えるストレートがあるんだから、ド真ん中投げときゃええ』と言うけど、そんな簡単には行かないんですよ」
トレードの噂…危機感が仲田を変えた
残像の消えない仲田は翌年、1勝7敗に終わる。6月13日のヤクルト戦を最後に先発の機会を与えられず、“万年エース候補”の称号さえ失った。オフには〈西武 左碗仲田にも食指〉(91年11月25日・日刊スポーツ ※記事ママ)とトレードの話題も出た。