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「ムラタで苦労したのはフォークより…」「ヒガシオの“内角攻め”はアメリカ的」三冠王ブーマーが明かす《昭和のパのエース秘話》
posted2022/05/01 17:00
text by
ブラッド・レフトンBrad Lefton
photograph by
Sports Graphic Number
「えええ、データが間違っているんじゃないかい。その数字はあり得ない!」
助っ人外国人としてプロ野球史上初の三冠王を獲得した元阪急の主砲グレゴリー“ブーマー”ウェルズは、自身が挙げたパ・リーグのエース投手との通算対戦成績を明かされると、まっさきに否定した。
村田兆治(ロッテ)、東尾修、工藤公康(ともに西武)、西崎幸広(日本ハム)、阿波野秀幸、野茂英雄(ともに近鉄)……中でも圧倒的に高い打率を残したのは村田だった。
「対戦打率は最低のはずだが。なんといっても、ダントツのナンバーワンピッチャーだったからね。打ったという印象は全くない。むしろ苦しんだという思い出しか残ってないよ」
だが、数字は違う事実を物語る。69打数25安打、打率.362、1本塁打、8打点。
試合中盤までの村田は、攻略しようがなかったからね
初対戦は1985年だった。ブーマーが来日した'83年は、村田は左腕の腱を右肘に移植するトミー・ジョン手術を受け、登録を抹消されていた。三冠王を獲得した'84年もシーズン終盤までリハビリが続いた村田とは一度も対戦が実現していない。つまり、二人が相まみえるのは、村田が手術をした後の35歳からだ。
「確かにオールドマンだった」とブーマーは笑いながら村田との対決に思いを馳せる。
「パ・リーグのベストピッチャーだったね。25本もヒットを打てたのだとしたら、大半は6回以降だったはずだ。それ以外、説明がつかない。村田は手術後で年齢を考えれば、体力的に6回までは持つ。でも交代するべきタイミングで日本の監督は降板させないだろう? だから日本の文化のお陰で村田を打てたというわけさ。試合中盤までの村田は、攻略しようがなかったからね」