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箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
箱根駅伝 “元祖コース間違い”「寺田交差点」誕生には“伏線”があった? 寺田夏生「ちゃんと箱根を見たのは、走る前日の往路が初めてでした」
text by
小堀隆司Takashi Kohori
photograph byIchisei Hiramatsu
posted2022/03/31 17:00
國學院大卒業後、JR東日本ランニングチームで活躍している寺田夏生。2020年の福岡国際マラソンでは2時間8分3秒の好記録で3位に入った
まだ名前も知られていない1年生ランナーが、いかにしてヒーローとなり、その後の競技人生を歩んできたのか。あの日に至る、運命の糸を紐解いてみたい。
高校入学時は「“都大路”が何かを知らなかった」
そもそも寺田が國學院大を進学先に選んだのはどうしてなのだろう。今では駅伝の強豪校として知られるが、寺田が陸上部に入部した当時(2010年)、3年連続でチームは箱根駅伝を予選落ちしていた。その前年夏に現監督の前田康弘がコーチから監督に就任したばかりで、お世辞にも強いチームとは言えなかった。
長崎の強豪、諫早高でエース格を担い、5000mの自己ベストが14分24秒だった寺田のもとには、勧誘の声がたくさん届いていたはずだ。
「確かにいくつかあったみたいです。青学大の原(晋)監督にも来ていただいて、色々お話を伺ったんですけど、もともと自分は高校で陸上を辞めようと思っていたくらいだったので。大学に行けるんだったら、最初に声をかけてくれた國學院大にしようかなって。地元でずっと一緒に練習をやってきた、一つ上の中山(翔平)先輩が國學院大にいたことも大きかったです」
寺田は中学まで野球部に入っていた。スポーツテストで1500mを走り、タイムが良かったことから中学総体にかり出され、そこから陸上の道が始まっている。高校時代は本格的な陸上の指導に音を上げそうになることもあったと言うが、良い先輩と仲間に支えられてなんとか乗り越えられたと笑顔を見せる。
「それまで野球が楽しかったので、陸上のことはほとんど知らなかったんです。高校に入ったときも“都大路”が何かを知らなくて、先輩に『オレたちが目指す全国大会のことだぞ』ってめちゃくちゃ怒られました(苦笑)。県大会で優勝はできたんですけど、全国大会では思うような結果が残せず。それで大学ではもう一度、中山さんと上を目指したいなと思ってました」
國學院大に入ると、寺田より上の自己ベストをもっている先輩はほとんどいなかった。まさに期待の新人として入部するも、寺田はタイム以上のレベルの差を感じて戸惑ったという。