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箱根駅伝 “元祖コース間違い”「寺田交差点」誕生には“伏線”があった? 寺田夏生「ちゃんと箱根を見たのは、走る前日の往路が初めてでした」 

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小堀隆司

小堀隆司Takashi Kohori

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photograph byIchisei Hiramatsu

posted2022/03/31 17:00

箱根駅伝 “元祖コース間違い”「寺田交差点」誕生には“伏線”があった? 寺田夏生「ちゃんと箱根を見たのは、走る前日の往路が初めてでした」<Number Web> photograph by Ichisei Hiramatsu

國學院大卒業後、JR東日本ランニングチームで活躍している寺田夏生。2020年の福岡国際マラソンでは2時間8分3秒の好記録で3位に入った

「特に距離走とかがきつくて、自分はそういうきつい練習がある日は前日に練習量を落として調整していたんですけど、先輩たちはそんなの関係なくガンガン走り込んでいる。ポイント練習の次の日もやっぱり距離を踏まれていたので、これくらいやらないとついていけないんだって思い知らされました」

 練習はきつかったが、寮生活にはすんなりなじんでいけた。当時、前田監督は夫婦で同じ寮に寝泊まりしていて、人間関係の風通しは良かった。キャプテンの仁科徳将を中心に、「箱根のシード権を取る」という目標でチームはひとつにまとまっていたと話す。

「仁科さんはピリッとしたキャプテンで、今でも会うとちょっと怖いんですけど(笑)、ああやって引き締めてくれる方がいたからチームはまとまったんだと思います。監督もつねに前向きな言葉をかけてくれて、高すぎず低すぎず、明確な目標を設定してくれました。練習の雰囲気はかなり良かったですね」

 だから、10月の箱根予選会で大躍進となる2位通過を果たしても、大きな驚きはなかった。寺田もルーキーながらしっかりと20kmの距離を走り切り、チームの目標達成に貢献した。

不調だった1年の冬「箱根に出るのは諦めてました」

 次なる目標は、これまでのチーム最高順位である14位を超えて、國學院大史上初となる本戦のシード権を取ること。部内は盛り上がっていたが、この時、逆に寺田は調子を落としていた。

「8月の中頃からずっとケガをしていて、ただ予選会でもチーム10番以内に入ってますし、1年目に5000と10000mの両方で自己ベストを更新して、自分でもこのまま行けば箱根は走れるだろうなと思ってました。でも、そこからまた足を痛めて、走れてはいたんですけど調子が上がらないまま。結局、12月に入ってからのポイント練習をぜんぶ外したんです。最後のポイント練習が12月の後半にあって、たしか8000mのペース走だったと思うんですけど、自分は4000mくらいで離れたんですよ。さすがにこれはもうどう転んでも自分が選ばれることはないなって。ほぼ箱根に出るのは諦めてました」

【次ページ】 「車の中で眠くて…」直前の下見で張られていた“伏線”

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