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10年前、大谷翔平と藤浪晋太郎がセンバツで対決した日…いま振り返る“2人の怪物が語っていた夢”とは「世界レベルで活躍する選手に」「メジャーに興味はない」
text by
氏原英明Hideaki Ujihara
photograph byKYODO
posted2022/03/30 17:02
2012年センバツで実現した大阪桐蔭対花巻東。ランナーとして生還しガッツポーズの大谷翔平と、投手の藤浪晋太郎
「夏と同じようなピッチングをしてしまった。ショックというより、なぜ同じことを繰り返してしまうのだろうと……。勝てるピッチャーにならなければという気持ちだった」
藤浪に張られたレッテル――それは“勝ちきれない投手”というものだった。
そんな中、ひとつ幸運だったのは、絶望視されていたセンバツ切符が転がり込んできたことだった。近畿大会準優勝の天理に善戦したことが評価されての、思わぬ選出だった。
佐々木監督が1年夏まで大谷を野手起用した理由
花巻東の佐々木洋監督が、187cmの新入生にさらなる可能性を感じたのは「骨」を見た時だったという。
「ウチに来た選手は、最初にレントゲンを撮るんですが、大谷の写真には『骨端線』が至る所に写っていました。まだ、彼の骨は成長段階にあったということです。無理をすれば故障する心配がある。だから1年の夏までは野手として起用して、ゆっくり成長の階段を昇らせようと思いました」
まずは野手として身体づくりに専念する。食事を多く摂り、トレーニングで身体を作る。負荷の掛かる練習はしない。経験を積ませるための登板機会を作ることはあったにせよ、優先順位はあくまで「育成」にあった。
大谷が本格的にマウンドに立つようになるのは1年の秋季大会からだ。岩手大会を勝ち抜き、東北大会では147kmをマーク。この時、佐々木は大谷とひとつの目標を設定した。
「160kmを目指そうと話しました。もちろん、スピードが投手の全てではないと思っています。しかし、160kmを出すという目標を立てれば、下半身の強化はどうする? 食事をどうする? 練習をどうする? というふうに本人の意識が変わってくるはず。そのために160kmという数字を出したんです」
ウェイト室で“大谷の160km”を確信した
ところが佐々木は数日後、この数字を訂正しようと思い立つ。目標が160kmでは、実際にはそこに届かないのではないかと、不安になったからだ。
だが、その心配は杞憂に終わった。
佐々木が回想する。
「ウェイト室に行くと、張り紙に『163km』と書かれていたんです。私は、人は目標に引っ張られるものだと思っています。目標より手前で終わる人、その通りに叶える人、突き破っていく人、目標に対する結果の出し方は人それぞれですが、大谷は、私が訂正するまでもなく、目標をひとつ上に設定していた。この子なら160㎞を出せると思いました」
ところが、思わぬ躓きが待っていた。2年の夏を迎える前、7月の初めに左太ももを痛めてしまったのだ。