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「ゼリー状の“それ”が自分の右目だと信じきっていた」失明危機に陥ったフットボーラー・松本光平が語る“光を失った瞬間”の激痛
text by
松本光平Kohei Matsumoto
photograph byTetsuichi Utsunomiya
posted2022/03/15 11:00
オセアニアのクラブを中心に独創的なキャリアを重ねてきた松本光平。事故から約1カ月後の2020年6月、右目は眼帯でふさがれていた
このままニュージーランドにとどまっても、この目はもう治らないし、眼球を摘出されてしまうかもしれない──。
それがはっきりしたので、初めて日本に帰国することを決意しました。医療技術に関しては絶対、日本のほうが上だろうという確信がありましたから。
それから、いろいろな人たちに協力してもらいながら情報を集めて、世界でも指折りの眼科の先生のクリニックが横浜にあることがわかったんです。すぐに連絡したら、数カ月先まで予約が埋まっていました。マネージャーの宮島一翔さんに相談したら、直接交渉してくれて、帰国後すぐに手術ができるようになったんです。
日本での手術が決まるとすぐ、宮島さんはクラウドファンディングの手続きをしてくれました。手術の予約を取りつけてくれただけでなく、高額な手術費用とリハビリの費用捻出のために奔走してくれた宮島さんには、本当に感謝しかないです。
コロナ禍での緊急帰国とクラウドファンディング
日本での手術は決まりましたが、帰国するまでが大変でしたね。まず所属クラブに、僕が日本に帰ることを納得してもらわないといけませんでした。
ちょうど僕が怪我をした2日後くらいに、ハミルトンのトレーニングが再開されることになったんです。目のことを話したら「なぜニュージーランドで治療しないの?」とか「シーズン中には復帰できるだろ?」とか、そんな反応でした。
ニュージーランドから出国してしまうと、再入国できなくなってしまうので、なかなかクラブも帰国を認めてくれませんでした。「それくらいの怪我、きみならすぐ治せるよ!」みたいな感じだったので、その場で病院に電話してもらったんです。そうしたら、やっと事態の深刻さを理解してくれて、帰国便の手配をしてもらえました。
ハミルトンから、空港のあるオークランドまで移動するのも大変でしたね。国内警戒レベル4のときは、ほかの都市への移動が禁じられていましたから。