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「ゼリー状の“それ”が自分の右目だと信じきっていた」失明危機に陥ったフットボーラー・松本光平が語る“光を失った瞬間”の激痛 

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松本光平

松本光平Kohei Matsumoto

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photograph byTetsuichi Utsunomiya

posted2022/03/15 11:00

「ゼリー状の“それ”が自分の右目だと信じきっていた」失明危機に陥ったフットボーラー・松本光平が語る“光を失った瞬間”の激痛<Number Web> photograph by Tetsuichi Utsunomiya

オセアニアのクラブを中心に独創的なキャリアを重ねてきた松本光平。事故から約1カ月後の2020年6月、右目は眼帯でふさがれていた

「あの子たち」というのは、そこの家に一緒に暮らしていた、選手の子どもたちのことです。実際、よくチューブを引っ張って遊んでいたんですよ。あの子たちが被害に遭っていたら、あるいは死んでいたかもしれない。僕は頑丈だし、片目さえ残っていたら、なんとでもなると思っていましたから。

 とりあえずチームメイトの運転で、ハミルトンで一番大きな病院に連れていってもらうことにしました。その間、僕はずっと左手に白い汁……というか、ゼリー状のものを握りしめていました。それが自分の右目だと信じきっていたんです。

 ほら、切断した指を病院に持っていったら、くっついたという話があるじゃないですか。それで病院に到着してすぐ、看護師さんに「これ、僕の右目ですから元に戻してください!」って言ったんです。そうしたら「違います」のひと言。僕の左手にあった白い汁はティッシュで拭かれて、そのままゴミ箱にポイですよ(笑)。

 その日は眼科専門の先生がいなくて、それでも診察してもらったら「きっと大丈夫だよ」みたいな感じで言われたんです。それで僕も「あ、治るんだ」って思って、その日は目薬だけもらって帰りました。

 それから数日して、眼科のスペシャリストが来る日に、あらためて病院に行ったんです。その先生は自信満々な感じで、笑顔で僕を迎えてくれました。「僕が診たら大丈夫。諦めたらダメだよ。僕に任せて」と言われて、精密検査を受けたんです。

 ところが検査結果を聞きに行ったら、あんなに明るかった先生が、ものすごく暗い表情になっていたんです。しかも、なかなか本題に入らない。「きみはハミルトンの選手なんだってね」とか「こっちには何年、住んでいるの?」とか「シーズンが途中で終わって残念だったね」とか。

 それからようやく目の話になって、「申し訳ないけれど、きみの目は手の施しようがない」って言われたんです!

「どの医療施設に行っても、治療はできないだろう。左目はなんとかなるかもしれないけれど、右目の視力が戻ることはもうない。眼球摘出の可能性もある」

 そう、言われました。最後は「本当に申し訳ない」を繰り返していましたね。

【次ページ】 日本に帰国し、世界的名医の手術を受けることに

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