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館山昌平がヤクルト時代の先輩・岩村明憲に“逆オファー”してまで「福島」にやってきた理由…“投手強化”だけじゃない東北への想い
posted2022/03/12 11:00
text by
市川忍Shinobu Ichikawa
photograph by
FUKUSHIMA RED HOPES
目の前に広がる光景に、館山昌平は思わず言葉を失った。
窓ガラスが割れたままの建物や、無人のパチンコ店。『ここまで津波が来ました』と書かれた表示がいたるところに貼られている。建物が流され更地になった海岸線は、今は太陽光発電施設となっているが、陽が落ち、夜になるとその場所は暗闇に沈み、まるで海の一部のように見えた。海岸線を一人、車を走らせながら東日本大震災の被害を目に焼き付けた。
「震災前、ここにはどういう生活があったんだろう」
想像するといたたまれない気持ちになった。
2020年、東北楽天でコーチを務めていたときのことである。
「新型コロナウイルスは今も蔓延していますけど、楽天でコーチをしていた時期は感染を防ぐために外出禁止、外食禁止がチームの決まりとなっていました。休日、普段のような外出ができなかったので、とにかく休みのたびに1人でドライブをしたんです。駐車場から1人、車に乗って、運転している間も行った先でもずっと1人。東北6県、ほぼすべての地域に行きましたね。福島第一原発の、すぐ横まで車を走らせたこともありました」
館山は当時を思い出し、言葉に詰まりながら語った。
「全然動いていないんだなと感じました」
最初は軽い気持ちだったという。
「娘が13歳になるんですけど、その娘に震災のことをどう伝えようかって考えていた時期でした。せっかく東北に住んでいるのだし、どれくらい復興しているのか自分の目で見てみたいという思いも強かった。高速から1本、海側に入った道路を走ったんですが、そこから見る景色は衝撃でしたね。3月11日から時間が止まったままだな、全然動いていないんだなと感じました」
「除去土壌運搬車」の幕を張ったトラックと幾度もすれ違った。それを見たときに「まだまだたくさんの時間をかけて復興していくんだな」と実感した。
あれから2年。任期満了で東北楽天のコーチを退いた館山は、その東北・福島で新しい野球人生をスタートしようとしている。2021年12月3日、館山の投手チーフコーチ就任のニュースが福島レッドホープスから伝えられた。