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渡部暁斗33歳、悲願の“個人で金メダル”へ…レジェンド荻原健司から受け取ったバトン《複合新旧エース》の深い結びつき
posted2022/02/14 17:00
text by
雨宮圭吾Keigo Amemiya
photograph by
JMPA
今回は、Number977号(2019年4月25日売)で掲載した『[複合新旧エースの回想]荻原健司×渡部暁斗「2人のキングの消えない棘」』を全文公開します(肩書きなどは全て当時)。
荻原健司は今でも夢を見るという。
スキーが走って、前を行く選手たちを次々と追い抜いていく。目の前にはもう誰もいない。
「あれ? 俺が一番? やったあ、金メダル!」
スタンドの大歓声。先頭でゴールを駆け抜けると、胸いっぱいに安堵の思いが満ちてきた。
「そうだよな、俺はやっぱり金メダルを獲ったんだ。個人でも金メダルを獲れてたんだ。よかったなあ」
そこではたと目が覚めて現実に返る。「夢か……」。引退から10年以上が経ち、荻原は現在、北野建設スキー部のGMを務めている。49歳。髪には白いものが混じるようになった。
「自分の中では常に引っかかっているんです。みなさんに金メダルを獲ったと言ってもらうけど、それはやっぱり団体なんです。世界選手権、W杯総合3連覇という個人の成績がありながら、五輪では個人のメダルが獲れなかった。それは今も心残りだし、『五輪でも世界選手権でも金メダルを獲りました』と言えないもどかしさがある」
新人類と呼ばれた荻原健司
五輪の棘が今もちくりと胸を刺す。
新人類。92年アルベールビル五輪の活躍で荻原はそう形容された。
個人戦は気負いがたたって7位に沈んだが、団体戦では圧勝。フェイスペインティング、前日から準備していた日の丸を振りかざしてのゴール、メダル授与式でのシャンパンファイト。
「ある競技団体の幹部の方からはああいうパフォーマンスはけしからんと言われたし、同様の声はあちこちから聞いた。でもそれ以上に多かったのは、あれがよかった、日本人のスポーツ像を明るく変えてくれたという賛成の声でした。いまだにそう言ってくれる人がいるのはうれしい」
複合ではまだ浸透していなかったV字ジャンプを突貫工事で練習し始めたのが、五輪のわずか2カ月前だった。新時代のスタイルをいち早く身につけ、日本代表でも4番手だった男は瞬く間に世界の勢力図を塗り変えた。他国にも同じようにV字に切り替えた選手はいたが、誰もが生まれ変わったように強くなれたわけではない。純ジャンプの選手にも劣らぬ精度を身につけたことで、大学卒業後は引退も考えていた荻原は無敵の王者にのし上がっていく。