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「治療でも男性ホルモンは“ドーピング”になる…」性同一性障害の水球代表候補が東京五輪を諦めた理由《現在は歌舞伎町ホストに》
text by
平田裕介Yusuke Hirata
photograph byTakuya Sugiyama/Getty Images
posted2022/02/07 11:01
(左)歌舞伎町でホストとして活動している現在の成宮涼(右)女子水球日本代表として活躍していた当時の写真
母親にもカミングアウト「付き合ってる女の子がいて……」
ーー同じ20歳の時に、お母さんにも打ち明けられて。
成宮 他の家族にいらぬ心配を掛けちゃうんじゃないかと。言うなら母親だけにしとこうって。自分の勘違いかもしれない、というのが自分のなかで大きくあったんですよ。治療を始めてから違っていたら大変だし、自分でも確信は持てなかったし。
母親に話し出したら、いままで溜め込んでいたものと「やっと話せた」って想いが一気に出てきて号泣しちゃって。大泣きしながら「付き合ってる女の子がいて、昔から女の子が好きだったんだよね」と言ったら、母親は「ちょっと待って、どういうこと?」って一時停止しちゃって。
自分でもはっきりしないけど、レズビアンではなく男の子として女の子が好きであること。代表選手を辞めてから治療したいと考えてると伝えて、そうしたら「あ、そう。じゃあ、お母さん寝るわ」って言われて(笑)。ショックなのは、見ればわかりましたね。翌朝から、そういう話はしたくないというオーラが凄まじくて。
ーー意を決して打ち明けたのに、そこで終わってしまうと辛いですよね。
成宮 こっちは話せちゃってスッキリしてるので、「彼女とデート行ってくるわ」とか言ったりとか(笑)。僕みたいな人がいる環境に慣れさせるしかないと思ったんですよ。メンズの友達が誰々と付き合ってるなんて話もすると「えっ、そういう友達いるの? というか、そういう人って他にもいるの?」みたいな。やっぱり家族の周りには、いわゆるLGBTがいなかったのでわからないんですよ。だから「学校でも結構多いんだよ」と話すうちに「そうなんだ」と理解してくれるようになりましたね。
水球を選ぶか、治療を選ぶか…
ーー大学卒業後も水球を続けたとのことですが、実業団的なチームに入られたのですか?
成宮 社会人チームに入ったんです。メンバーはみんな仕事をやっていて、月に1度か2度、週末に練習をやるという。代表選手もやっていて、両立できるかなと思って不動産会社に就職しましたけどすぐに辞めました。まだアルバイトの経験などがあれば慣れたのかもしれないけど、やったことなかったし。ずっと自分の興味のあること、スポーツしかやってこなかったから、ちょっとダメでしたね。
毎日、4時間も5時間も電話で営業のアポ取りとかやってましたけど、僕には続けられないなと。仕事を辞めて、水球に専念しようと。
ーー同時に、オリンピックにも出たいという思いもあった。
成宮 はい。でも、代表の選考会で落ちたんです。代表に戻って東京オリンピックに出られるようにと、そこからしばらく頑張ってもいたけど、それが叶ったからどうなるのかって。オリンピックに出たとして、メダルを獲れたならば解説者なんかになれるかもしれないけど、日本は弱いから絶対に勝てないだろうなと。オリンピックに出られたことで、コーチや先生の道もあるかもしれないけど、確実じゃない。
それに、治療もしたかったんですよね。若いうちにやっておけば、手術をしても治りが早いし。やめるべきなのは水球で、やるべきなのは治療だと決めて。水球から離れて、すぐさま治療に入りました。
《続く》