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福士加代子39歳が引退…笑顔の裏で“嫌いなことだらけのマラソン”を続けた理由「陸上をやめようかなと思っていたんです。でも…」 

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酒井政人

酒井政人Masato Sakai

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posted2022/02/02 11:03

福士加代子39歳が引退…笑顔の裏で“嫌いなことだらけのマラソン”を続けた理由「陸上をやめようかなと思っていたんです。でも…」<Number Web> photograph by AFLO

満面の笑みでゴールへ飛び込んでいく福士加代子。1月30日、“引退レース”となった大阪国際マラソンに出場した

 福士は青森・五所川原工高の3年時に800mと3000mで東北チャンピオンに輝いた。多くのチームが勧誘合戦を繰り広げたが、高校卒業後は競技を続けるつもりはなかったという。それでも周囲の強い勧めもあり、「会社のイメージが良かった」というワコールに2000年に入社した。しかし、入ってすぐに「場違いだな」と福士は感じたという。

「1カ月でやめようと思いました。高校時代は朝練習なんかやったことがなかったですし、練習についていけなかったんです」

 高校と実業団のギャップに18歳の少女は苦しんだ。それでも、「負けず嫌いの性格」だという福士は結果を残すようになると、「少しずつですけど、陸上がおもしろくなってきたんです」という。

 入社2年目の2001年には3000m・5000m・10000mのジュニア日本記録(5000m・10000mは当時)をマーク。12月の全日本実業団対抗女子駅伝(3区)で“16人抜き”を演じたことで、注目を浴びるようになった。

 2002年の日本選手権5000mと10000mで初優勝を飾ると、その後は“トラックの女王”として君臨する。日本選手権は5000mで6度、10000mは7度の優勝。2005年に樹立した5000mの日本記録(14分53秒22)は昨年、廣中璃梨佳(日本郵政グループ)に破られるまで16年間も保持した。しかし、トラック種目で出場した3度のオリンピックと4度の世界選手権は「入賞」まであと一歩届かなかった。

「嫌なことだらけ」のマラソンで世界の頂点へ

 29歳からはマラソンに本格参戦する。2011年のシカゴで2時間24分38秒の2位に入ると、2013年1月の大阪国際は2時間24分21秒で優勝(※両レースは上位選手の薬物違反による繰り上げの順位)。2013年のモスクワ世界選手権では銅メダルを獲得した。

 トラックでは何度も跳ね返された世界の壁を「嫌なことだらけ」というマラソンで乗り越えたことになる。さらに2016年1月の大阪国際を2時間22分17秒(当時・日本歴代7位)で制すと、同年夏のリオ五輪女子マラソン日本代表をゲットした。リオに出発する前の取材ではこんなことを話している。

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