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「以前はガンバ一筋で、クラブに残る形がいいな、と」FC今治退団後、オファーを待ち続ける42歳橋本英郎が「引退」を考えないワケ 

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二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

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photograph byFC.IMABARI

posted2022/02/01 11:02

「以前はガンバ一筋で、クラブに残る形がいいな、と」FC今治退団後、オファーを待ち続ける42歳橋本英郎が「引退」を考えないワケ<Number Web> photograph by FC.IMABARI

昨季限りでFC今治を退団し、Jクラブからのオファーを待つ橋本(写真は昨年のガイナーレ鳥取戦)

「ガンバ一筋でやって、クラブに残る形がいいな、と」

 自分が掲げる目標を達成して完全燃焼したいというその思いはガンバ大阪を離れたときからずっと心にあったものだ。もともと、ジュニアユースから育ってきたガンバ大阪でのワンクラブマンで終わりたかった。それこそが彼の願望だった。

 橋本が言葉を続ける。

「松波(正信)さんが2005年に31歳で引退して、ほかにもオファーがあったのにガンバ一筋で辞めていくのを目の当たりにして、凄く強い印象として残ったんです。實好(礼忠)さんが2007年に、松代(直樹さん)が2009年にともに35歳で引退して、指導者としてガンバに残って。だから僕も35歳くらいまでガンバ一筋でやって、クラブに残る形がいいな、とそれを目標にしていたところは確かにありました」

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 だが思いも寄らない形で、その願望は閉ざされる。

フットボーラーとして“死に場所”を求める旅

 2011年シーズン前に右ひざ前十字靭帯損傷で長期離脱を強いられ、終盤になって復帰を果たしたものの、契約満了となった。巻き返すチャンスを与えられないまま、32歳で20年間在籍した愛着あるクラブを離れなければならなかった。

 最終節、アウェーでの清水エスパルス戦の終盤に出場した後、こみ上げてきた寂寥感は今も忘れられない。先に退団が報じられたこともあって、スタンドからは自分の名前を呼ぶ声も聞こえてきた。自分を支えてくれたサポーター、チームメイト、スタッフ……慣れ親しんだガンバの光景を忘れないようにといろんなものを目に焼きつけようとした。

 フットボーラーとして“死に場所”を求める旅はここから始まった。

 ヴィッセル神戸で3シーズン過ごした後、J2時代のセレッソ大阪、J3長野パルセイロを経て2017年からはJ2の東京ヴェルディへと渡る。そして2019年にJFLだったFC今治の岡田武史会長から声が掛かった。大阪・天王寺高校の大先輩からの誘いに、何か運命を感じないではいられなかった。

【次ページ】 “もうこの熱量で続けるのは無理やわ”と思えるまで

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