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「以前はガンバ一筋で、クラブに残る形がいいな、と」FC今治退団後、オファーを待ち続ける42歳橋本英郎が「引退」を考えないワケ
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byFC.IMABARI
posted2022/02/01 11:02
昨季限りでFC今治を退団し、Jクラブからのオファーを待つ橋本(写真は昨年のガイナーレ鳥取戦)
ただ一方でJ2昇格を目標とするチームの成績はふるわなかった。スペイン人のリュイス・プラナグマ・ラモス監督が5月に解任され、布啓一郎監督が就任しても浮上できないままだった。ピッチ上で奮闘を続ける橋本ではあったが、9月12日のホーム、藤枝MYFC戦の前半終盤に転倒した際に肩を強打してそのままピッチを去った。悔しそうな感情を浮かべながら。
「折れたという実感はありました。鎖骨を手術する場合、(復帰まで)2カ月掛かることは知っていました。シーズンの最後に間に合うかどうかと思っていたら、CT検査の結果は複雑骨折もあって3カ月だ、と。僕の今シーズンが終わったなと思いました。このチームでの自分の役割としては試合に出続けることが最低条件。そのうえでチームの結果に結びつけていかなければならないと考えていました。その結果が出なくて、個人的には責任を強く感じていた部分はあったと思います」
クラブからの通達を静かに受け入れた
その後9月下旬には布監督も契約解除となり、アカデミーメソッドグループ長の橋川和晃が指揮を執るようになってチームは何とか上昇の気配を見せていくようになる。
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自分のパフォーマンスとチームの結果が比例しなかった現実に、契約満了は覚悟していた。そしてそのとおり、クラブからの通達を静かに受け入れた。
心に宿した野望があった。
「地域リーグやJFLからはい上がってJ1まで階段を上っていく選手はいても、J1でずっとやってきて、一度JFLまで階段を下りていって、J3、J2まで昇格させた選手は今までおらんやろ、と。40歳を過ぎて下り階段しかないと思われているなかで、“えっ、橋本は逆に上がっていってるの?”と驚かせられたら面白い。同じ年の南(雄太)が横浜FCで、昨シーズンで言えばヤット(遠藤保仁)がジュビロ磐田でJ2からJ1に引き上げましたけど、JFLからJ2までというのは多分ないと思うんです。それができなくなってしまったのは心残り。ただプロの世界なんで仕方のないことですけどね」