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兄の死、酒と夜遊び、行方不明……栄光と挫折を繰り返した「元Jリーグ得点王」のジェットコースターのような人生とは 

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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posted2022/01/14 06:00

兄の死、酒と夜遊び、行方不明……栄光と挫折を繰り返した「元Jリーグ得点王」のジェットコースターのような人生とは<Number Web> photograph by Getty Images

元セレソンで名古屋グランパスでも活躍したジョー。数々の栄光を勝ち取った一方で、そのキャリアにはトラブルが付きものだった

 2004年はブラジルリーグで42試合に出場して8得点。しかし翌年は故障が多く、出場機会を減らした。

 それでも2006年初め、CSKAモスクワから移籍金推定500万ユーロ(約6億5000万円)を提示されてロシアへ渡った。この年のリーグで18試合に出場して14得点をあげ、チームのリーグ制覇に貢献。まだ18歳だったが、4歳年上の元サンバダンサー、クラウジアさんと結婚した。

 2007年6月にはブラジル代表に初招集され、2007年と2008年もCSKAモスクワの主力として活躍した。

 そして2008年7月末、移籍金推定2400万ユーロで(約31億3000万円)でマンチェスター・シティへ。この年の8月、ブラジルU-23代表の一員として北京五輪に出場して銅メダルを獲得した。

ロナウジーニョと夜もコンビを形成

 この頃が、キャリアにおける最初のピークだった。ところが、若くして大金と名声を手にして気が緩み、いつしか酒と夜遊びに溺れるようになった。

 イングランドでは、生活、言語、習慣、プレースタイルなどの違いにも戸惑い、力を発揮できない。ガラタサライ(トルコ)などへ貸し出された後、2011年に失意の帰国。インテルナシオナルに入団したが、欧州での挑戦に失敗したストレスを酒と夜遊びで紛らわせてスランプに陥り、2012年5月に戦力外通告を受ける。

 それでもすぐにアトレチコ・ミネイロに拾われ、同時期に入団したロナウジーニョとの連携でゴールを量産する。ブラジル代表にも復帰し、2013年6月のコンフェデレーションズ・カップに出場して、日本戦とメキシコ戦で得点をあげた。そして、この年のコパ・リベルタドーレスで得点王に輝き、優勝に貢献する。

 この頃が第二のピークだった。ところが、親しくなったロナウジーニョとピッチ上のみならず夜もコンビを組んでしまい、またしても酒と夜遊びでコンディションを崩す。

「神様と出会って、心を入れ替えた」

 ブラジルで行なわれた2014年ワールドカップでは3試合に出場したが散々な出来で、メディア、国民から痛烈に批判された。

 再び酒の力を借りるようになり、2015年5月、アトレチコ・ミネイロの監督を務めていたレヴィー・クルピ(元セレッソ大阪、ガンバ大阪監督)から戦力外通告を受けた。

 その後、UAEと中国のクラブに短期間在籍した後、2017年初めにコリンチャンスへ復帰した。

【次ページ】 日本で得点王も無断でブラジルへ帰国

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