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欧州サッカーPRESSBACK NUMBER
デシャンから待ったがかかりユベントス行きが破談に……ソル・キャンベルが明かす幻の移籍話と指導者への熱き想い
posted2022/01/12 17:01
text by
アルトゥル・レナールArthur Renard
photograph by
Getty Images
アーセナルの黄金期を支え、イングランド代表としても活躍した名DFソル・キャンベル。2012年の引退後は指導者の道を歩み、2つのクラブで監督を務めた。現在はフリーの状況にあるソル・キャンベルが現役時代の秘話を明かすとともに、自身が目指す指導者像を語ってくれた。(翻訳:山中忍)
ユベントスと3年契約で合意も……
――2006年7月のアーセナル退団は、その2カ月前に行われたCL決勝の結果に関係なく決定していたというのは本当ですか?
「本当さ。新スタジアム建設によるプレッシャーが、至る所で感じられる状況だった。クラブは収支にこだわらないわけにはいかず、その中でアーセンは、とにかくCL出場権を維持し続けなければならなかった。だから、身の振り方を考える選手は多かった。俺はシーズンが終わったところでイタリアに飛び、ユベントスと話をして3年契約で合意した。あとは契約書にサインするだけだったんだが、監督をしていたディディエ・デシャンから待ったがかったんだ。俺は、ユベントスがセリエBに降格したばかりでも行く気だった。海外リーグを経験する絶好のタイミングを逃したように思えてならない」
――海外でのプレーに興味があったのですね。
「だから今は、監督として海外でチャレンジする機会があるかもしれないと思っている。イタリアは戦術面のノウハウに満ちたリーグとして、今でも魅力を感じている。ドイツはスピードのあるスタイルに向いている土壌があり、スタジアムの雰囲気も最高で、伝統も申し分ない。初めのうちはドイツ語が話せなくても大目に見てもらえるんじゃないかな? 俺は努力家だから、1年もあれば会話をマスターしてドイツ仕様の姿をお見せするよ」
――イタリア行きが消え、最終的にポーツマスに加入。その後、ノッツカウンティ(当時4部)、アーセナル復帰と続き、ニューカッスルが現役最後のクラブとなったわけですが、どのタイミングで引退の潮時が近いと感じましたか?
「どこからもオファーが来なくなった時さ(笑)。真面目な話をすると、34歳でポーツマスを出た時点(2009年)で『そろそろかな』と思ってはいた。だから、アーセナルでの半年間(2009-10シーズン後半戦)を経験できてよかった。アーセナルのユニフォームを着て、エミレーツ(新スタジアム)でプレーすることができたからね」
見聞を広めるために海外の現場をあちこち回った
――引退後、コーチの資格はどこで取得したのですか?
「UEFAのAライセンスはウェールズFA主催のコースで取った。その後しばらく、見聞を広めるために海外の現場をあちこち回らせてもらった。パトリック(・ビエラ)が監督を務めていたニューヨーク・シティに足を運んだし、アーセナル時代のチームメイトだったエドゥがベルリンで行われたドイツ対ブラジル戦を観戦できるようにアレンジしてくれたこともある。あの頃、彼はブラジル代表のコーディネーターをしていたから。ACミランとサンプドリアにも、それぞれ2、3回ずつ行った。どれも、すごくためになる経験だった。見て、聞いて、メモを取りながら。選手としても、監督としても、成長するためには学び続けなければならない」