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「泣いてんじゃねえ。帰れ!」オカダ・カズチカの辛辣な言葉の真意とは? 清宮海斗は“対抗戦の屈辱”をバネに飛躍できるか
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2022/01/12 11:01
棚橋弘至とオカダ・カズチカという新日本の両エースが、年齢差34歳でタッグを組んだノアの武藤敬司と清宮海斗を一蹴。対抗戦は6勝4敗1分で新日本の勝利に終わった
「武藤さんともやることができました。それはボクにとってもそうですし、武藤さんにとっても『オカダと戦えた』っていういい記念になったんじゃないかなと思います。ただね、清宮、『選手』だったけど、もう清宮『君』かな。呼び捨てにもできないレベルで。本当にね、メチャメチャ悔しいと思いますよ。でもこれが、実際の差。『新日本プロレスのお客さんを持って帰る』って言っていましたけども、あれじゃ持って帰れないだろうと。
まあ悔しいなら、新日本プロレスに来ればいいしね。またノアに戻ればいいんだから。海外修行のように何年か(新日本のリングに)上がって、自信がつけば、またノアに戻る。そのくらい、オレはしてもいいと思うけどね。ノアの中で育って、ノアではトップになれるかもしれない。でもプロレス界、いざ外に出てみたら海は広いなと、それぐらい差があったと思います」
武藤は90年代の新日本のスターだ。初対戦だった59歳の武藤にはリスペクトに近いものを示したオカダだったが、25歳の清宮には徹底的に辛辣だった。
清宮が味わった“最大級の屈辱”
最後は泣くことしかできなかった清宮は、このオカダの言葉をどう受け止めるのだろうか。そこまで言うなら、もっと一方的に叩きのめしてほしかったと思うだろうか。やるだけやらせておいて「大きな差がある」と言われるのと、どちらがよかったのか。しばらくの間、自問自答するしかない。
1995年10月、新日本とUWFインターとの対抗戦で、長州力の力任せのラリアット1発で沈んだ安生洋二のようなやられ方ならば、ある意味わかりやすくインパクトはあっただろう。だが今回の清宮のようにやるだけやらされて、そんなものかと突き放されるのは、余計に屈辱的なのかもしれない。
清宮が2017年12月に海外武者修行から帰って来た時、筆者はこの若い才能に期待した。勢いにまかせて、一時はGHCヘビー級王座のベルトまで巻いた。だが、行き詰って試行錯誤している間にトーンダウンし、栄光は遠い昔の出来事のようになってしまった。
元日には日本武道館で拳王にハイキックでKOされた清宮は、張り切って指名したオカダからさらに非情な仕打ちを受けたことになる。しばらくの間、清宮にとっての“対抗戦の続編”はないだろう。この後、清宮がどう変われるかはノアの運命まで大きく左右すると思うが、それは本人次第だ。