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《異色の経歴》48歳の元マル暴刑事・関根“シュレック”秀樹がRIZINで見せたジャーマンスープレックスの意味「UWF、プロレス最強!」
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byRIZIN FF Susumu Nagao
posted2022/01/08 17:00
48歳にしてRIZINのリングに上がり、見事に勝利を収めた関根“シュレック”秀樹
「俺もカッコ良く生きてえなって思ったんです」
「格闘技はボクがずっと抱いてきた夢であるし、ボクは若い子たちにも『安定のためにやりたいことを諦めてしまったら、死ぬときに絶対後悔するぞ』って、常々言ってたんですよ。それなのに、世界チャンピオンになれるチャンスが目の前にありながら、そこでまた断って夢を諦めるって、すげえカッコ悪いなって。俺もカッコ良く生きてえなって思ったんです」
当然、周囲からは反対された。定年まで働くことができて、しっかりとした額の年金ももらえる警察官の職と、いつまでできるかわからないプロ格闘家。一家の長として、今後の生活を考えれば、どちらが正しい道なのかは明白だろう、と。
「でも、人生には人それぞれに意味があると思うし、やりたいことがある。それをやらずして我慢して生きていて何になるのって思ったんですよ。もし貧乏になったとしても、やりたいことを目一杯やった人生と、お金はあるけどやりたいことをやらなかった人生、どっちが幸せなのかなって。大学を卒業するときはまだガキだったから、親に言われたことに従ったけど、もう43歳になって、親に反対されたからといってやめるような歳でもない。
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やっぱり人間、いつ死ぬかわからないじゃないですか。俺だって明日、交通事故で死ぬかもしれないし、1年後かも3年後かもしれない。その時、俺って後悔しないかなと思って。『朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり』って言葉があるじゃないですか? 朝に道を悟れば、夜死んでもかまわないっていう。いまここで警察官を辞めることを決めれば、もし夜交通事故で死んでも、俺はMMAファイターになるっていう決意をしたことで後悔はないし、人生は成功だなと思ったんです」
周囲の猛反対の中、唯一応援してくれたのは妻だった
この決断を周囲の多くの人は反対したが、唯一応援してくれたのは、他ならぬ関根の妻だった。そして柔術の先生であるマルコス・ヨシオ・ソウザとホベルト・サトシ・ソウザにも報告すると、「秀樹が警察を辞めて格闘技の道を選ぼうがこのまま続けようが、どちらにしても俺たちは必ず応援する」と言ってもらえたことで覚悟が決まり、翌日、上司に辞表を提出した。こうして誇りを持って勤めていた警察官の職を43歳で辞めて、関根は正式にプロ格闘家への道を歩み始めたのだ。
プロ転向のきっかけになったブランドン・ヴェラ戦はTKOでデビュー以来初黒星を喫しONE世界王座奪取はならなかったが、その後はMMAとプロレスを並行して闘い続け、昨年はDEEPで2連勝。ついに今回、夢だった大晦日のRIZIN出場のチャンスをつかんだ。
シビサイ頌真を破った後の「UWF、プロレス最強!」「大晦日、お正月も働いている警察官最強!」「昭和生まれ最強!」という言葉には、そんな関根の思いがすべて込められていたのである。