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革命児・井上康生がイギリスで捨てた“チャンピオンの意識”…代表内定会見の涙には「なんて恥ずかしいことをしてしまったのかと」
posted2021/12/30 11:05
text by
中村計Kei Nakamura
photograph by
Tomosuke Imai
東京五輪で柔道全日本男子チームを率いた井上康生前監督。柔道男子史上最多となる5個の金メダルをもたらした男は何者だったのか――。井上を近くで見てきた人々と本人の言葉から、その“実像”を明かしていく短期連載「静かなる革命児」。
第7回は本人インタビュー。本連載に登場した5人の証言の真意を尋ねながら、改革者としての「井上康生」に迫る。(全8回の#7/#8へ)
第7回は本人インタビュー。本連載に登場した5人の証言の真意を尋ねながら、改革者としての「井上康生」に迫る。(全8回の#7/#8へ)
「常に意識していたのは、バランサーであろうと」
――改革を断行した者には、得てして「反逆者」のようなイメージがあるものです。でも、井上康生さんには、それがまったくない。少なくとも、外からは、そのように見えませんでした。だけど、実際はどうだったのか。それが今回の取材の大きなテーマでした。
井上康生(以下、井上) 僕は確かに改革者ではありましたけど、常に意識していたのは、バランサーであろうという点でした。なので、何かするときは、強化委員会や全日本柔道連盟、時にテレビ局などへも足を運んで、何度となくお話をさせていただきました。そういう作業は丁寧にやってきたつもりです。
――鈴木監督によれば、代表監督自ら連携を深めるために所属先のチームを回るようになったらしいですね。これまでそういうことはあまりなかったと聞きました。他の競技の代表チームなどではよくある光景かとも思うのですが、柔道では、なぜそれが難しかったのでしょうか。
井上 皆さんが思う以上に、柔道界は、大学同士や企業間のライバル意識が強いんです。私は東海大卒ですけど、ライバル大学へ赴くとなると、それはそれは大変なエネルギーを必要としました。見えない壁がいくつもありまして。それは全日本の監督だろうと例外ではありません。私の場合は、そんなことを言っていられない状況だったので、当たって砕けろの精神で、厚かましくも足を運ばせていただきました。所属先と一体となって強化を進めていくことが不可欠でしたので。