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「原さんはハワイ旅行だけど、僕はパーカー」徳本一善42歳はなぜ青学大・原晋監督を慕うのか「僕らは箱根駅伝の野党なんです」
text by
雨宮圭吾Keigo Amemiya
photograph byMutsumi Tabuchi
posted2022/01/01 11:04
今年箱根駅伝初出場の駿河台大学駅伝部・徳本一善監督。自身もかつては法政大学で箱根路を走り、その力走ぶりから「爆走王」と呼ばれた
「あの時代とこの時代は違う世界だと感じています。うちのチームも、僕の時代だったら楽にシード権を取れるぐらいの戦力がある。科学的なこと、施設面、もう箱根駅伝はとんでもなくいろんなものがインフレしてるんですよ。だから僕らが箱根出場という目標を達成するためには、生活面も含めて取り組んでいくしかなかった」
予選会を通過すると、改めてその思いは強くなった。祝福の電話やメール、米や肉など寮に届く差し入れの数々。反響の大きさは自分が現役時代に味わったオレンジ旋風の比ではなかったからだ。
1本の電話「300億あるから、また何か面白いことをしようよ」
「おめでとう! マジで感動したよ。いま現金が300億あるから、また何か面白いことをしようよ」
予選会直後、数限りない祝福の中で懐かしい人物から電話があった。世界的にも有名なスニーカーショップ「atmos(アトモス)」創業者の本明秀文である。本明は8月に米国大手スポーツ用品専門店のフットロッカーにアトモスを約396億円で売却したばかりだった。
「じゃあ1億円ください!」とおねだりしたら「いや、そういうことじゃない(笑)」とたしなめられた徳本だが、それならばと切り出した。
「アパレル作ってくださいよ」
2人の関係は徳本の現役時代にまでさかのぼる。学生の頃から自らのウェブサイトで自作のTシャツなどを販売していたように、徳本は服飾方面に強い関心があった。将来はアパレル関連で何か起業したいとまで思っていたという。その人脈を広げていく中で出会ったのが本明だった。
2004年のアテネ五輪前、日本選手権覇者として5000mでの出場を狙っていた時期には、五輪出場記念用のTシャツとシューズをコラボレーションして製作していた。ところが、この時は参加標準記録にわずか0.8秒及ばずに落選。せっかくのコラボは思ったような形で日の目を見ることはなかったのである。
その夢が20年近く経って再び動き出した。しかも、アトモスも箱根駅伝も当時よりはるかに大きな存在になっている。本明は原宿ドリームの体現者とまで言われるようになり、箱根駅伝も出場校が増え、各校の力の入れようも昔とは段違いだ。その力を合わせてチームオリジナルのフーディーとロングスリーブTシャツを作る。それをアトモスのサイトで販売することも決まった。
影響を受けたのは青学の原晋「僕らは野党なんです」
徳本が影響を受けた指導者の一人に青山学院大学の原晋がいる。同じ広島出身ということもあり、徳本から距離を縮め、定期的に食事にいくほど親しい間柄になっている。